旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

医療費対GDP比10%超える

2012-08-31 05:47:51 | 医療制度
ここずっとおかしいなと考えていた問題があります。

医師不足→地域医療崩壊と言われ、日本の医療費は他の先進国に比べて低いと言われ続けていました。

景気が悪く、失業率も上がってきたのに、GDP(国民総生産)が上がり続けるなんてありえないのではないか。そう考えていました。

この8月24日に厚労省が2011年度の概算医療費が37.8兆円となったことを発表しました。これは速報値で、患者が全額自己負担する医療や労災医療などの費用が含まれていません。これらを含めた国民医療費を試算。これに介護費を合計すると47.0兆円になります。

同年度のGDPは469.9兆円(名目ベース)であったそうです。その結果、2011年度の医療介護費がGDPに占める割合は丁度10%になったようです。さらに、政府が本年3月に発表した社会保障給付将来推計データに基づき試算すると、2012年度の医療介護費がGDPに占める割合は10.43%と予想されるとのこと。

これは、英国やスウェーデンを一気に追い抜きOECD諸国の平均水準に既に達していること、4~5年後には米国に次ぐ第2位になる可能性があることを示唆しているというのです。

今後の社会保障を考えていくにあたって、見過ごすことのできない問題です。アメリカ追従型の医療でよいはずがありません。

質を高めてコストを減らす方法を検討すべきです。しかし、医療従事者が失業することも避けなれればなりません。

理想と現実をしっかりと見据えていきたいものです。

がんばるケアマネジャー

2012-08-30 22:43:46 | 地域協働
旭川での研修会のこと。

元警察官だった認知症患者さん。ケアマネジャーさんは友達になったり、部下になって警察署長にもどった患者さんに対応したり、深夜にも電話があるとか。

すばらしいですね。認知症の患者さんのワールドに、役者となって演じきっているケアマネジャー。このようにつながっていることが大事なのですね。

レビー小体型認知症

2012-08-29 23:45:20 | 診療
先週あった当地域の認知症勉強会で提示された症例がありました。転倒しやすいというのが特徴でした。

レビー小体型認知症の世界で初めて発見した小坂憲司先生は、この5月に『第二の認知症 レビー小体型認知症の今』(紀伊国屋書店)を出版されました。最先端の研究成果が分かりやすく解説されています。

びっくりするのが、このタイプが認知症のなかで20%を占め、アルツハイマー型に比べ2番目に多いということです。

診療所を受診する人が少ないのは、幻視だと精神科へ、転びやすいと整形外科や神経内科を受診されるからでしょうか。

精神症状も「幻の同居人」「カプグラ症候群」「重複記憶錯誤」「ナターリング症候群」など人間心理の奥深さを学べるものがあり、実際にケアしてみたい病気のひとつです。その目で認知症の患者さんを観察していきたいです。

沖縄から江洲先生来る

2012-08-28 23:33:16 | 交友
今年の6月29日にお訪ねした那覇市の小禄病院理事長の江洲先生、事務長の佐藤和弘さんが京極に来てくれました。

見ていただくものはほとんどないのですが、北海道の空気と水をたっぷり味わっていただくことくらいでしょうか。

クリニック内と養護老人ホームを外側から案内し、小さな小学校をちょっと外からと南京極小学校に立ち寄ったら、中から先生が出てきて「どうぞ中へ」ということで、校長先生に案内してもらいました。去年、今年児童の健診に行ったのに中を案内していただいたのは初めてでした。全校児童は13名。先生方は8名の恵まれた小学校です。

それから隣村のレストランで楽しい語らいの時を持ちました。

江洲先生とは医療に対する考え方が共通しているので、協力体制がとれることを期待していただき、たいへんありがたく思います。

江洲先生は循環器の専門医ですが、最近は総合診療を実践され、幅広く高齢者ケアに取り組んでおられます。後継者育成を課題に掲げておられます。

元オリンピック選手の佐藤和弘さんは、1992年アルベールビルオリンピックに出場、スピードスケートで5位に入賞を果たしました。アルベールビルでは伊藤みどりさんが銀メダル、橋本聖子さんが銅メダルを獲得したのでした。

安斉哲郎先生

2012-08-27 23:22:45 | 交友
先日の同窓会。後半書きたかったことは安斉哲郎先生のことです。

安斉先生は札幌明和病院の現役医師です。同窓会の前の日、8月24日で満87歳になられたそうです。

なんといってもすごいのは現在も週4日外来診療をされているそうです。

ワインも2日でボトル1本を飲まれます。

「疲労感なるものが、ああこれをいうのかなあ、と最近ようやく分かった」というのですがら、疲れを知らない子どものように生きてこられたのだと思います。

新潟医科大学をご卒業されたのは昭和23年。もしかすると学徒動員されたのかもしれませんね。東京のご出身ですが、卒業後札幌医大に移られ、神経内科のリーダーとして活躍され、助教授も務められました。

また趣味も多彩のようですが、今でも宗教曲の指揮者をされます。ときどきコンサートのチケットを送ってくださいます。一度もぼくは日程が合わず、参加できていません。

すばらしい大先輩。これからもぼくたちのモデルとしてお元気でご活躍ください。