旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

ご冥福を祈ります

2018-03-20 21:44:28 | 交友
午前中、診療の合間に電話が鳴りました。「診療中なので、のちほどかけ直します」がなかなか言い出せなくて、聞き入ってしまいました。

電話の主は、伊藤正子元自治医大病院看護部長のお姉さま。

「正子が生前、大変お世話になりました。13日に命を落としました。『わたしが死んだら、連絡してほしい人の電話番号』が4人ほどメモしてありまして、先生の連絡先が書いてありましたので、連絡いたしました。・・・・・・・・お花も、香典も気になさらないで、ただ妹の冥福を祈っていただけたら、それで十分です」

出会ったのは自治医大病院に勤務を始めて1年くらいたったときで、ぼくは20代でした。
病院オープン1年目は全科の混合病棟が一つしかありませんでした。伊藤さんは2年目にオープンする病棟の婦長候補で先輩から声をかけられたようでした。婦長になった病棟は内分泌と膠原病と血液の病棟でした。やがて血液科が単独になりますが、6年くらい同じ病棟で働きました。

当時は白血病の患者さんが多かったので、週に何人もの人が亡くなる病棟でした。まだ骨髄移植も開発されてなく、平均生存期間は10か月。入院当日に脳出血で亡くなる人も少なくありませんでした。
伊藤さんは随分深く患者さんや家族に関わる人でした。
ゆき過ぎかなあと思うくらい。
文学も好きで、辻邦生の本を教えてくれたのはこの方でした。
彼女は小川国夫のファンでしたが、ぼくは彼の小説は読んでもよく分かりませんでした。

自治医大の看護部長を長く務めました。やめて数年してからは病気との戦いでした。
心臓の手術もされたような。腰痛もひどかったようですが、不眠症も辛そうでした。

この数年よく電話をいただいたので、アドバイスしたり、本を送ってあげたりして、最近よくやく声が元気になってきたところでした。いや、この半年くらい電話が来なかったような気がします。

若さゆえ、随分と迷惑もかけました。死にゆく方々の心理を一緒に勉強して、たくさんのことを教えていただきました。医者としての生き方の方向づけも伊藤さんの力によるところが大きいと思い、今とても感謝しています。


ご冥福を心からお祈りいたします。

3月に想う

2018-03-18 22:39:46 | 日記
11日は東日本大震災から7年が経ちました。自分自身にとってもとても大きなできごとでした。

復興が厳しい状況であることも胸痛みます。9回通った陸前高田市のトレーラーハウスの診療所は中学校のそばにありました。中学校には仮設住宅がありました。先日のテレビのニュースで、この仮設から全員別のところに移ることを知りました。一部住宅を建てたり、復興住宅へ移られたりするのでしょうが、多くの人が別の仮設に移るということでした。まだまだ不便な生活が続くのですね。

この仮設住宅から通院しておられた方々の顔が浮かびます。どうか、病が癒えておりますように。たとえ、病を持ったままとしても、その人らしい生活が送れるように遠き地から祈っております。

そして、今年大会長を務める二つの学会、いずれもで「震災からのこころの復興」を取り上げることにしました。


16日は命日でした。3年が経ちました。よろしく頼むと託された孫たちは志望の大学、高校にそれぞれ合格しました。ばあばが守ってくれたのでしょうね。

孫娘は夏休み1週間、北海道に来て数学の特訓したのでした。じいじも少しは貢献できたかな。

24日に合格祝いして、25日はばあばの墓参に行くことにしました。孫たちはどんな報告をするのでしょう? お墓には大きな文字で「心」と刻まれています。孫たちはどう受けとめているのか、たずねてみたいです。ばあば、少しは「安心」してくれるのかもしれません。