旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

北海道地域医療研究会運営委員会

2012-09-30 23:49:18 | 学会活動
きょうは夜、京極にもどってまもなく急患です。明日から緩和医療目的で外来診療を受ける予定の方でした。

吐血ですが、前の病院にはすぐ戻さずに今晩はこちらで観ることにしました。


きのうは空席待ちでなんとか札幌に戻り、表記の委員会に出席しました。

運営員の皆様には学生実習やさまざまな機会に支えていただきましたが、本年度いっぱいで顧問職を退任させていただくことになりました。

何とも辛いのは初代運営委員長の行木(なめき)先生の思いを裏切るような形になってしまったことです。

先生は北海道で、とくに厚岸や弟子屈で地域医療を実践してこられました。現在も開業という形でありますが、さまざまな福祉施設も運営し、地域包括ケアに取り組んでいます。

先生が「前沢の書いたもの、特に北海道新聞の現代読書ナビに紹介した本は全部買って読んでいる
1冊だけ読んでがっかりした本がある」と言われました。恥じ入るばかりです。

退任を決めたのはこの研究会の運営副委員長との意見の対立が主たる原因ではあります。大人げないと言えばまことにその通りですが、ぼくも自分の信念を曲げるわけにはいかないのです。

いろいろジレンマもありますが、引き際はきちんとしなければなりません。研究会にかかわる皆様、長い間ありがとうございました。

いってらっしゃい!  涌谷の母を送る

2012-09-29 23:52:01 | 交友
涌谷町の和光苑で本郷たまえさんの告別式が行われました。

弔辞は本間ひさ子さんとお友だちが3人で。そしてぼくが述べました。和郎さんおご挨拶を聴くと

戦後の食糧難の時代に妻として、母として、ご親族には「手品師」と称されたそうです。少ない材料で多くの食べ物を作ったのだそうです。晩年はボランティア活動のサルビア会の中心的存在でした。一人暮らしのお年寄りに手作りのお弁当を届ける活動でした。



お母さん。長い間お疲れさまでした。

本郷家とのお付き合いは、お婿さんの和郎さんが、イギリスのタンノイ社のオートグラフというスピーカーを使っていることから始まりました。

音楽を聞かせてもらいながら、お母さんの手料理をいただく機会が多くなりました。近くにあって自然なものを手際よく調理してくださいました。

なかでも絶品は「バッケ味噌」でした。(東北地方はフキノトウをバッケと呼びます)

平成8年私が北海道に赴任すると、ときどき涌谷に戻るとき、定宿が本郷家になりました。訪ねると「お帰りなさい」という言葉で迎えられます。「いらっしゃい」ではないのです。本郷家を出る時は「行ってらっしゃい」。「さよなら。お元気で」ではないのです。
 
涌谷町でわたしがした最後の呼びかけは「小さな地域を大きな家族に!」でした。

あなたは先頭に立って大きな家族の一員として大活躍してくださったのでした。

美味しい手料理、あたたかな微笑、家族のために地域のために知恵を出し尽くしてくださいました。

仕事ではなく生活の中で社会貢献を粛々とされたのでした。

ありがとう。いってらっしゃい!

明日は涌谷へ

2012-09-28 23:43:45 | 日記
身近な人の死はボディブローのようにジワジワ効いてきます。

今夜はお通夜。明日は11時から告別式です。

涌谷へは日帰りの日程で行ってまいります。




わが家の花壇の「なでしこ」  花言葉のひとつ「いなくなった人を慕う」感謝をこめて

ボランティア委員会

2012-09-27 23:09:22 | 地域協働
4時から連携会議があるというので福祉センターに飛んで行ったら、集まっている顔ぶれがいつもと違います。

誤報で連携会議は来週とのこと。

席を勧められたのでそのまま居座りました。

会はボランティア委員会。顔ぶれが違うわけです。

京極町のボランティアのことはさっぱり知らなかったのでチャンスです。

いくつかのボランティア団体と小中学校の先生が出ていたようですが、資料のない団体は何をしているのかよく分かりません。

養護ホームの喫茶室に中学生が行っているのはほほえましく、いいなあと思います。

でも、他の取り組みは熱意にもかかわらず、ゆきずまっているような印象を受けました。「計画、参加、評価、そして計画」のサイクルがうまく回っていないようです。コーディネート不足という状況でしょうか?

商工会も農協も青年部は人数がかなり減っているようです。仕方のないことですが、何らかの工夫は必要でしょう。

間違って参加したボランティア委員会に参加したおかげで、ほかほか祭りの講演テーマが見えてきました。

「京極町の未来~老い方、死に方、生き方~」

でどうでしょうかねえ。