ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

反省はしても後悔はしない

2019-07-07 23:43:49 | 思うこと
子どもが不登校になると、いじめなど明確な外的な理由がない限り、
親はこれまでの子育てはどうだったかとか、いろいろ思い巡らせるものです。

あの頃、すでに兆候があったかも・・・と思い当たるところがあったり、
子どもの気質が影響していると思われる場合でも、
不登校になったのは、それだけと決められないのでは?
親の対応しだいでは防ぐことができたのでは?・・・とかね。

すると、ここがまずかったかも~と思うところがチラホラと出てきます。
そして、親は反省します。

我が家はまさしくそれです。
中学受験で親が追い込んで、ケン太がおかしくなってしまったので。

最近の不登校は、いじめなどが原因で学校に行けなくなるケースよりも、
親の過保護、過干渉などにより、子どもの自立心やストレス耐性を奪ってしまっているケースが多いように思います。

そういう場合、これまでの子育ての反省から落ち込み、
あ~あんな対応をしなければ・・・と
後悔の念にかられたりします。

私が我が子を不登校にしてしまった。
自分を責めてしまうことも。

そこまでは必要な作業かもしれません。

反省があってこそ、そこから、どうしたらよかったのかと考えられるので。
それによって子どもへの対応を改め、結果、いい方向に向かえたりもします。

ただ、一時期、後悔の念にかられたとしても、
いつまでも後悔し続けないでほしいです。

その時、その時は一生懸命だったのですから。
少なくとも子どもを放置していたわけではないと思います
こどものためにと思っていたと思います。

ちょっとやり方を間違えてしまったのなら、
そこから修正すればいい。

お子さんを思うが故の行動を否定してほしくないです。

10人の親が同じ対応をしたとしても、
それぞれの子どもに出る結果は違うと思います。

これが絶対なんていうものは最初から存在しないのです。

これがいいとやってみたことも、我が子に当てはまらなかったりします。
やってみないとわからない。
様子見て修正して、その繰り返し。

失敗は次に繋げるもの。

子どもには失敗させろ・・・と言いますが、
だったら、親も同じですよね。

失敗を恐れてはなりません。


私は、この世に起きる全てのことは「必然」だと思っています。

ケン太が不登校になったのも。
私が不登校の子の親になったのも。

・・・必然。
決まっていたこと。

この世というのは、魂の修行の場らしいので、
修行のためのいろんなことが用意されているのです。
それは成長していくために必要なこと。

だから、後悔なんてありません。

ケン太自身も、私自身のためにも、そういう経験が必要だった。
そういう運命だったんだと思います。

どう捉えようと、その人それぞれですが、
私はそういう捉え方ができるようになって、
いろんなことが楽になったような気がします。

ケン太が不登校にならなかったら・・・と考える時はあります。
不登校にならなかったら、今より幸せだったろうか?・・・とか。

ケン太はどう考えているかわからないけど、
私は不思議と、今より幸せだったとは思わないんですよね。

多分、親子関係は今の方がいいだろうと思います。
失敗により、親子関係を見直すことができたからです。

それと「幸せ」と感じられる基準が、とても低くなりました。
ケン太が朝起きて、ご飯を食べて、仕事に行く。
これって決して当たり前のことじゃないということを知りましたから。


つまりは・・・

「幸せ」を感じるのは「事象」だけではない。
「捉え方」が全てのように思います。

「捉え方」で幸せの見え方が違ってくる。

私は今の方が幸せ・・・と思います。
そう思えることも「幸せ」です。



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