54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

私が旅したバッハゆかりの地 1

2014-02-25 15:21:19 | 『冊子バッハ』
 私の旅 〔Ⅰ〕                        下線部の箇所で写真リンク可 
1990.5.23~6.09 (18日間) はじめての一人旅(54歳)で ツェレリューネブルク・リューベック・ハンブルク に行った 
わが家にホームスティしたMattiがヘルシンキでフランクフルトではMartinが出迎えてくれ、それぞれのお宅で暖かなもてなしをしていただいた後 5/28ミュンヘンに向かった
 “一人旅が一回しか出来ないとしたら…”と思って迷わず決めたのがブレンナー峠だった イタリアのメラノまで行きミュンヘンに戻り、乗換え(夜行)てツェレに午前に着き始めての宿探しをした

 ツェレを選んだのはバッハにも関係があり、当時TVの放送大学を見ていて町の様子が少し分かっていたこと、ヘルシンキからの帰国便に近いハンブルクに戻るのが安全だと思ったから それにバッハがあこがれたオルガンのあるリューベックや15歳で来て聖ミカエル学校で過ごしたリューネブルクも近い
 宿は川べりの親切なおばさんの宿がすぐ決まった 2泊してリューネブルク経由でリューベックへ 
(リューネブルクに下車してみたが駅前には何もなく町への道を教えてもらったが心細くなり次の列車を1時間弱待ちリューベックに向かってしまった)
 リューベックはちょうど祝祭日で大変な賑わい 私も人々のやさしい視線の中気軽にワイン片手にステージの演奏を楽しんだりしていてバッハが感動したオルガンのある聖マリア教会に入ったか覚えがない 少し離れた
ヤコビ教会で数人しかいない中で突然オルガンが響き始め感動に胸が詰まり夢のような時間を過ごしたことを思い出す
(このヤコビ教会のオルガンは戦災を免れた貴重なもの) 
 ツェレでもバッハのことは忘れていた  写真を見るとフランス風のおしゃれな街を思い出す バッハが度々訪れたという1700年頃はどんな景色で、どんな事を考えながらバッハは歩いていたのだろう 
 ツェレの後ハンブルクに行ったがバッハがハンブルクに来ていた事もその時知らなかった 
 バッハを意識してプランしたのだがその時々の出来事に関心事は移りバッハを思い描くゆとりはなかった 
初めての旅はブレンナー峠を新製品のSonyウォークマンでモーツアルトやメンデルスゾーンを聞きながら満喫して満足 

 私の旅 〔Ⅱ〕
 1991.5.28~6.13 (17日間) 2回目の旅でライプツィヒに行った 
大韓航空でチューリヒに深夜着 00:10発列車でミラノ乗換え05:40→09:20ベニス着  2回目のベニス(1989年にツァー参加で1泊)を4時間散策後オーストリアのフィラハに向かい16:00着 1泊してクラーゲンフルトで2泊、ツェリアムゼーで3泊、パッサウで2泊の後バンベルクヘ 
バンベルクに4泊し、バイロイト4時間とライプツィヒ4時間散策の時間を別々の日に往復した 
東西ドイツが統一されてまだ1年 ライプツィヒの町は破壊の痕跡がいたるところに残り車は小さなポンコツ車しか見当たらなかった 
バンベルクの後ライプツィヒに宿泊を予定していたが旅の最後を過ごす気にならずアルプスの町ガルミッシュ・パルテンキルヘンに変更した 

 私の旅 〔Ⅲ〕
 1993.6.28~7.18 (21日間) 4回目の旅でリューネブルクリューベックを再訪した 
オランダで5泊し(アムステルダム2泊、ハーレム1泊、ドルドレヒト、デルフト、ホールン2泊、メデンブリック、エンクハイゼン、アルクメール、デンヘルダー)北ドイツへ オスナーブルック経由フーズムに行き2泊、フレンスブルク、キール、ヴェスターランドを見てからシュターデで1泊しリューネブルクへ 前回は町まで行けなかったので今回は1泊することにし朝9:43に着いて宿探しをした すてきな宿がすぐ見つかり午後はリュー-ベックへ ティル・オイゲンシュ-ピ‐ゲルで有名なメルンに途中下車1時間半ほど過ごして再訪したのでリュー-ベックに2時間半しかいられなかった この時もバッハのことが浮かばず聖マリア教会の内部の記憶がない 20歳のバッハが感激のあまり休暇を4倍も伸ばしてしまったブクステフーデの主宰する「夕べの音楽」 バッハはブクステフーデの後任に推されたのだがその地位は世襲でブクステフーデの一人娘は当時30歳、バッハは申し出を断ったといわれている…そんなことを思い浮かべながら過ごせなかったことが悔やまれる (現在の聖マリア教会は1941年米軍の空襲で破壊され戦後復興されたもので2本の塔の真下に戦災で地面にめりこんで割れたままの鐘がそのままの姿で残されている)この季節ドイツは日が長く夜10時でも電灯もつけずに日記が書ける リューベックから列車で1時間ほどのリューネブルクに戻り夕方7時ごろから町を散策した 翌日10:13リューネブルク発ハノーヴァー乗換えゴスラー12:57着 宿探しのため早く着かなければならずリューネブルク・リューベックとも慌しい旅になってしまったが車窓や空気は蘇ってくる

 
 私の旅 〔Ⅳ〕
 1994.6.14~7.05 (22日間) 5回目の旅で
パリに2泊し列車でフランクフルト経由フルダに向かい2泊した
 
6/17フルダ8:20→9:38 アイゼナハ 4時間 アイゼナハ13:30→14:40 ワイマール 4時間 18:54→19:14 エアフルト19:34→21:37フルダに戻る1日を過ごした 列車の遅れもあり、ちょっと空気を吸ってきた程度の町歩きだったが、バッハの家での演奏も聴くことができ、アルゼンチンの学生ダニエラさんとの一日は楽しかった

この後オーストリアのキッツビュールへ向かい5泊した


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