54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

市民講座「秋の美術館巡り」①

2010-09-03 20:08:03 | 欧州旅 思い出…
この秋開催される絵画展に沿った4回の講座でとても良かった
その講座でいただいた資料から、復習としてまとめておきたくなった
7/31 シャガール  8/7 ドガ   8/25・9/1 ゴッホ
シャガール
ロシアでユダヤ人社会の中、9人兄弟の長男として23歳まで過ごした
パリに出て4年目、一時ロシアに帰京したまま戦争で戻れなくなる
30歳の時ロシア革命で美術委員に任命され美術学校を創設するが対立し
辞職 ソ連政府が社会主義的リアリズムを提唱するに及んでロシアを脱出
ベルリンで妻子と合流。パリに1923-41住む
1930年後半ナチスのユダヤ人迫害が迫りパリを脱出アメリカへ
61歳フランスに戻り、パリ近郊に住んだ後ヴァンスへ
晩年は壁画や天井画、ステンドグラス、版画、陶芸など広範囲に活動
パリオペラ座の天井画は有名 1985.3.28  97歳で死去
ドガ
裕福な家庭に育ち家業を継ぐべく法学に進んだが途中から画家を目指す
巨匠アングルの教え「線を引くように」を生涯守った
オペラ座に通い踊り子を描き音楽にも感心が高まった
動きの一瞬を捉え、その形と色彩の美を表現した
8回あった印象画展に7回出展したが独自の作風を通した
日常の風俗や姿態をさりげなく、巧妙に表現
普仏戦争に従軍し目を痛め視力の低下に悩んだ 生涯独身だった彼の
晩年は視力を失い孤独を余儀なくされた 1917.9.27 83歳で死去
ゴッホ
ゴッホについては聞いたり見たり読んだりと大体のイメージがあるが、
耳きり事件や自殺の真相は断定できないとか?…
牧師を志し聖書を読みふけった時期や伝道師の仮免許まで取った教養人
普段は紳士なのに絵に集中してしまうと狂人のようになり
村の人に病院に入れられてしまうことに 抜群の集中力の持ち主
ゴーガンの来るのがどれほどうれしかったか 部屋を向日葵で飾り自分より
ずっと上等なイスを用意し… 2人が上手くいかなかった様子も理解できた

絵画を見ながら解説してもらい、前に見た絵も深い感動で見ることが出来そうだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シャガールで私に浮かんだのはチューリヒの聖母教会のステンドグラス
1998年だから随分前なのだが、はっきり思い出すのは列車を次にしてまで
ゆっくり見たこと シャガールのステンドグラスに引き込まれた
左写真:上手く撮れていないが…

1998.10 チューリヒにて  ゴッホのアルルも思い出があるので後日に…




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