私は歴史美術の杜構想について、ブログや議会で多くを継続的に取り上げています。
中には、誤解を生んでいるかも知れませんので、私見を述べたいと思います。
指定については、自治体(公共)の責任で判断しなければいけない部分もあり、
それを進めて行く上での取り組みについては大変なご苦労があると認識しています。
又、地域の方々の思いは当然ですが、
広範囲にわたる取り組みは並大抵のものではないと思います。
以上のことから、公共の責任として国の文化財指定を目差す方向性については
理解を示しています。
しかし、歴史美術の杜構想についての説明責任、市民の理解を得るための取り組み、
公共としての明確なビジョンと取り組み。それらについて、全て辻褄が合い多くの市民に
ご理解頂かなければならないと思います。
先のブログにも掲載しましたが、インプット・プロセス・アウトプットが
水の流れのように
清らかな流れでなければ理解頂けることは出来ないと思います。
ですので、今までのプロセスが非常にスムーズな流れになっておらず、
現在もそう感じていますので引き続き議論を行い、
それによる発信も行っていかなければいけないと考えています。
ですので、多くの市民に理解頂くに耐えるだけの説明がされない限り、取り組みの無い限り
疑問を呈し続けたいと考えます。よって、歴史美術の杜構想については理解出来ません。
難しい問題でしょうね。残す、残さないでは、大阪でも議論がありますもんね。伝統とは?
なんでしょうね。
今の日本人は、日本文化に親しみがないと思いませんか?
私は、そう感じています。
例えば、お花のお稽古をする生徒さんは減少しているように思います。それより、アートフラワー、アレンジフラワー、プリザーブドフラワーを習いたいと思う時代。
それに日本家屋も減少していますよね。三木市という田舎でさえ、日本家屋を建設される方が減っていますよね。
学校の行事事でも、いろいろと削除されていますよね。
なんだか寂しいです。
お正月のおせち、とんど、節分の豆まき、花まつり、七夕、子供の日・・・・それぞれの言葉は、知っていても、実際に何をどうするのか、知らないでしょ?
旧暦で行われていた田舎の祭りも、今は新暦。
私は、こんな小さな行事事ですが、残して欲しいと思います。
市長が演説されていませんでしたか?「高齢者に優しい三木市を作りたい」と。
ご年配の方と若い世代のふれあえる場、ご年配の方から受け継ぎたい行事。私は、必要だと思います。
お金だけで幸せですか?人間、ふれあう事が必要なのではありませんか?話す事、笑う事が元気の源のように、私は感じています。
チャンスであるけれども、それを大切に扱う能力も気概も無い様に思えました。
色んな人が協議をして集めた案を纏めたものなので、わらび餅の様で、それぞれに相乗効果を考えるなどの緻密な考えや深さが一切感じられませんでした。
そうしてチャンスを台無しにし、更には向こう何十年も何も出来なくなり、最後の僅かな希望さえもが潰されてしまう。
この構想を知る前から、自分は色々と上の丸周辺をどうするかを考えてきました。
伝統を、貰える遺産程度にしか考えていないのが三木市ではないかと思っています。
継承が必要で、同時に未来へ残し伝えるのが伝統の筈。
なのに、「みゅーじあむ」という、これまたみっきぃ症候群が出た名称を使っている・・・。
子供に聞いても幼稚だと笑われるものです。
ただの思い出作りでしかなく、公の精神を全く感じ取れません。
この名称は伝統というものに反しています。
愛郷心が大事だと、教育をするのであれば、子供を子供のままにする様なものでなく、子供を成長させる名称にしなければならない。
それが大人の勤めだと思います。
10億もの金が、焼け石に水の様にすぐに蒸発するだろうと予測できます。
もし効果を発揮するならば、まずは民の意識を変えなければ。
もっと根本的なところからの底上げが必要だと思っています。
これならば、市民に10億の金をばら撒いた方が効果がある様に思えます。
溝に捨てる計画をやろうと、「なんとかする」しか言えなかった担当者を思いっきり見下しています。
社会の動きが無い今、今の市政を美化せずに、現実を見せて市民の独立した精神を促す様にする様な状況だと思います。
せめて市長には、三木がどうしようもない状況だと、人材も質も公の精神も無いという事を表明してもらいたいと思っています。
コメントの内容、よく分かるような気がします。
歴史については、私達日本人が連綿と受け継いできた時代の流れがあり、時代と共に変化はしていくでしょうが、その本質は不変であると思います。地域性や文化、他地域の人から見ると何でもないものかも知れません。しかし、そこには先輩方の時間が詰まっている。
それらに対する思いや取り組みを多くの人に理解を求めることにより、よりよい地域コミュニティーが生まれ、また、団結するのではないかと思います。
大事な歴史を守り、継承していくのにそれを扱う一部の人間の思いが、その重さに比例していないのではないかと感じます。
テーマパークを作って終わりの時代では無く。
明確なビジョンと強力なリーダーシップが必要だと思います。(リーダーについては、以前ブログでボスとリーダーの違いを掲載参照願います。)
ビジョンがあれば、計画の中のどれをとっても、辻褄があうと思います。
全回の説明会で御覧頂いたのが現状です。
これからも、皆様に事実をお伝え出来るように頑張っていきたいと思いますので宜しくお願い致します。