昨日2日より、11日の御弓神事本番まで連日連夜の練習が始まりました。
由来は神戸市ホームページより転記しています。
淡河八幡神社の由来
伝承では、宝亀10年(779)6月表筒男命を祀り、仁平年間(1151~54)に安閑天皇、貞応2年(1223)に鶴岡八幡宮から応神天皇の分霊をうけて奉祀して、以後八幡宮と称しています。旧淡河庄16村の鎮守社で明治7年郷社となりました。なお、本殿は平成11年に神戸市指定有形文化財に指定されています。
概要
御弓神事は、鎌倉時代初期の貞応2年(1223)鶴岡八幡宮より御祭神の分霊をうけた際、里人が深夜の奉祀を弓矢を持って守護した古事を起源と伝える豊作を祈願する行事です。現在は2月11日(以前は2月17日)に淡河八幡神社境内で執行されますが、かつては旧暦1月17日に行われる年頭の行事でした。
この神事は、秋季例祭同様、氏子地16村(淡河町全域と三木市志染町戸田・同町三津田)を4つの神事区(野瀬神田・七村・宮元・戸田三津田)に分け、各区が輪番で4年に一度、神事番を勤めるものです。
各区の中でも各村が輪番で持ちまわり、当番のあたったところを親村といいます。ただし、野瀬神田では、野瀬の戸数が多いため、神田→野瀬→神影→野瀬→神田とまわります。また、御弓神事の神事番は、秋季例祭の神事番より1年先行します。
御弓神事は、神事番区から選ばれた4人の射手が、鬼を封じたマトを射るもので、この4人が計16本の矢を射た後、三十六人射、餅撒きが行われます。
特に、神事までの沐浴潔斎、計16本の弓射にかかる仕儀は、古式をよく残す点で特筆され、昭和45年4月1日に兵庫県指定無形民俗文化財に指定されました。
先のブログでご紹介しました。
私が18歳で射手(奉仕者)を努めて翌年19歳から氏子の集落を毎年指導をして回っています。
射手は成人男子4名、介添え(前回の射手経験者)2名、矢取り小学男児4名です。
10日~7日前に稽古始めが行われそれから奉仕者の都合に合わせ作法の指導をします。
始めて弓を持つ人が多いので、弓の持ち方や打ち方の初歩から指導しますが、本題は神事の作法です。
2人一組で二組あります。組では、2人が交互に約30分~40分の作法を行いその間に的に鬼を描いた悪霊を討ち五穀豊穣を祈願するのですが一人2本の矢に全身全霊をかけます。
今年は2日、稽古始め。10日場均し。11日本番となりまして場均しの前日まで作法を覚えるために連日の練習になります。
10日の場均しは予行演習の様なモノでこの日には仕上がるように調整していきます。
10日当日は場均し終了後、山中にある禊ぎ場へ行きフンドシで禊ぎです。
そこには、私と助教と射手の6人で入り、矢取りの子ども達は手を洗い身を清めます。
その後は、担当の村の公民館で斎宿(身を清めたので寝泊まり)を行い翌日の本番に備えます。そこでは、射手の6人と矢取りの子ども達4人と担当の大人が寝食を共にします。
指導を始めたきっかけは当時の指導者に見込まれお願いされたことです。
当時は、皆さんのお役に立つのならと言う気持ちで始めたのですが、30年近くも続くとは考えていませんでした。
地域で主役になれそうにない年齢の青年達が地域から選ばれそれに答えようと一生懸命に取り組んでくれる。又、地域は青年達の為に一生懸命に尽くしてくれる。
稽古始めから本番までの間に、お互いに目に見えない絆が最大限まで深まってくれる。
それを最大限お手伝いして地域と青年達の関係を最大限繋げていく役目が私達です。
毎年、この短期間での青年達の成長がとても楽しく、共に成長を感じます。
「君たちの為に地域が・・・。」「地域の為に君たちが・・・。」
それを多くの青年達が理解して頑張ってくれます。
10日の禊ぎはフンドシ姿の私が先頭に立ち「ついてこい。」と入水。
11日の本番に備えては、作法中はどんな間違いがあっても「俺が完璧にホローするから安心して頑張れ。」「しかし、それまでは頑張って覚えろ。」でガンガンいきます。
私が毎回楽しみにしているのは、11日本番終了後、櫓の上からの餅捲きを青年達4人がするときの、開放感に満ちた笑顔です。
一生の思い出になるよう地域と共にお手伝い出来る幸せに感謝しています。
皆さんも、ご都合付けば是非お越し下さいね~。