「市長がミッキーの衣装着て・・・。」
に多くのコメントを頂戴しました。この場をお借りして、こんなに多くの方に関心を示して頂き心よりお礼を申し上げたいと思います。
有難う御座いました。
多くのコメントは、市長の品格や真実の誤解それに対しての「解」でした。
よく選挙などになれば三木市に対する具体的な取り組みを公約にして皆さんに判断を仰ぎます。
それら全ての人が共通する点は、三木市を良くしたいと言うことにつきます。
具体的な取り組みは別にして、
社会をよくする取り組みを
私は安定性を持った継続的な取り組みと成長だと考えています。
継続的な取り組みは時間はかかるかも知れませんが揺るぎなく、強固な地盤となり、牽いては三木市の大きな礎になると考えて
います。
安定性を持った成長も同じく、急激な成長や社会環境の激変は対応できないばかりか、混乱を招き有効に活用できない事態に陥るのではないか
と考えています。
目先の事、(私達選挙で選ばれる人間としては4年先)ではなく長期で考え取り組んでいくべきなのです。
その区切りの一つに4年があるかもしれませんが。
リーダーには刺激や変化を求めるかもしれません。
しかし、刺激や変化は一過性のもので絶えずそうあり続けることは皆さんを疲弊させてしまうのでは
ないかと思っていますし、事実そうなります。
普通の生活が出来る社会が理想かも知れません。
普通の基準は難しいので、子育てに例えてみます。
子育てをする時に、赤ちゃんに急激な成長は求めません。無理なことです。
親は、多くの時間を子どもと過ごし成長の過程を共有します。
そして、成長の度合いによって親は子にとって最善の取り組みを考え、行おうとします。
また、その取り組みは親の単独の判断もあるかも知れませんが、子どもと話をしながらでしょう。
それらは、子どもの成長と合わせ時間をかけて行われていきます。
その後、成長した子どもはそれまで親から受け継いできたことを改良しながら社会の一員として生活していきます。
また、人生の先輩である親に対しては、感謝の念を持ち恩返しをします。
以上は、連綿と遠い昔から人類が共通に行ってきたことです。
これらが普通の事かも知れないと思っています。
変化や成長は心地よい言葉ですが、時には危険でもあると思っています。
一時の心地よい言葉に踊らされることなく、躍らせることなく愚直に取り組むことが社会人としての務めだと
思います。
よく、親が親なら、子も子だと言われます。
それは、良くも悪くも親の姿勢が子どもに受け継がれるからです。
市民が選んだ市長や議員、と市役所。
親の姿勢が子に反映されているんでしょう。
只、取り返しのつかない事ではありません。
時間はかかりますが治療から治癒に向かうことが出来ます。
心の目で真実を見極め原則に従って行動をすることによって。