雨降りなので肌寒いが、それでも以前のような寒さではない。私の大学受験の頃は、国立は1期と2期に分かれていた。国立1期の前に私学の試験があり、友だちの多くは掛け持ちで受けていた。私は両親が亡くなったので、大学試験は諦めていたが、兄貴から「国立なら授業料は安い。受験料を出してやるから」と言われ、急遽受験することにした。
私学は絶対に無理であるし、家から外に出れば金がかかる。そうなると家から通える国立しかないが、1期はハードルが高すぎるので2期校だけを受けることにした。不合格なら家を出て東京にでも行こうなどと当てもないのに考えていた。2期校の試験は3月下旬だが、今日のように寒い日だった。私学や1期校に合格した友だちが、私の家に「合格した」と言って来る。
私はなぜか、寂しい気にはならなかった。いよいよ自分の番か、そんな気持ちだった。大学に対する「夢」もなかった。合格したら、学生寮に入り、家から出るつもりでいた。ところが学生寮の申し込みに行くと、「親がいないだけの理由では入寮出来ない」と断られた。大学2年の時に兄貴は破産し、一家離散となった。私は大学の先生の家に下宿し、先生の車の運転手や家の書生となり子どもの家庭教師を務めることになった。
友だちと天下国家を論じたり、哲学的な論争もした。自治会の役員に当選し、デモに参加することもあった。それで体制が変わるとは思わなかったが、意思表示が出来るのにしないことの方が罪深い気がしていた。「いちご白書」のように、学生という身分だったからだろう。高校の教師になり、ストやデモが当たり前の職場だったから参加できたが、もし無縁の職場だったら眺めていただけかも知れない。
「森友問題」にかかわった公務員の中にも忸怩たる思いで経緯を眺めている人もいるだろう。どこにいても、どんな立場にあっても、同じように意思表明できる人は数少ないと思う。いざという時に、生活を失うかも知れないのに、はっきり主張できる人を私は尊敬する。