友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中学のクラス誌の復刻する

2018年03月20日 18時05分24秒 | Weblog

  中学校を卒業して何年になるのだろうと、計算して驚いてしまった。58年。とんでもない歳月が流れてしまった。私たちの担任は数学の教師で、「うるさいぞ」と教壇からチョークを投げつけたり、「顔を洗って来い」とか「運動場を1周して来い」とか、青筋を立てて怒鳴った。気が短くてワンマンのように見えたが、実際は生徒が大好きで大事にする先生だった。

 私の手元に4冊のガリ版刷りのクラス誌がある。私たちのクラスのものが3冊と、もう1冊は私たちの6年後のクラスのものだ。先生に頼まれて原稿を書いたもので、私の住所が大学の先生の家になっているから書生の頃のものだ。この1冊を除いたクラス誌の復刻版を自費で作った。3冊とも色褪せていて読みにくくなっていたが、印刷屋に相談すると「きれいに出来ますよ」と言うので、お願いした。

 1号と3号は早く見つかったのに、どうしても2号が見つからず遅れてしまった。それが思わぬところから出てきたので、「ヒマな時でいいから」とお願いしたら1年半もかかってしまった。幸いにもこの間にクラス会は開かれなかったので、次回はこれをもっていくことが出来る。1号が1960年12月、2号が翌年の12月、そして最後となった3号が1967年1月の発行である。どの号も夏休み中に原稿を集めて先生に渡し、先生がひとりで編集してガリ切りし、印刷・製本まで行なってくれた。

 先生は「好きなことだから」と言ってくれたが、復刻版を眺めていると先生には感謝しても余りある。私が教師になった自分を振り返ってみても、先生が手本だったとよく分かる。生徒たちが我が家によく遊びに来たが、これも私たちが先生の家によく出かけたからだ。中学の時は「やたらと怒る」先生のイメージだったのに、クラス会では強くない酒を飲み、音程の外れた歌を大声で歌ってくれた。今年こそクラス会を開いてくれ!復刻版を持って行くぞ!

 

 

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