友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ブータン王国への関心

2012年08月23日 19時13分07秒 | Weblog

 甲子園の決勝戦は意外な結果だった。試合の内容は決勝戦にふさわしく息詰まる展開で、ドキドキして見ていた。けれど、清原2世になるかと思われた光星学院の北條選手は、難波のダルビッシュと呼ばれた大阪桐蔭の藤浪投手からホームランはおろかヒットすら打てなかった。3対0で大阪桐蔭が春夏連覇したが、本当に選手たちはよく頑張ったと思う。

 昨日の新聞の投書欄に中年の女性がこんなことを書いていた。「広い道幅にもかかわらず、前から走ってきて思い切りぶつかり、そのまま走り去ろうとした男の子がいた。謝りもしないで走り去ろうとしたその男の子に、私は『謝るぐらいして』と怒った。ところが、先を歩いていた父親が私の所まで戻ってきて、子どもに謝らせるどころか、『言い方が悪い』とくってかかった」。

 真剣なプレーイに徹する高校生たちを見ていると、そんな高校生は大人になってもここに登場するような父親にはならないだろうと思うが、確か、ダルビッシュも高校生の時に喫煙したことがあったと何かで書いていたように思う。私の高校時代からの友だちも、修学旅行の時だったかに、タバコを吸い酒を飲んだと言っていた。ちょっとばかり大人になったような振る舞いをしたがるのはこの年齢のせいだろう。

 投書の女性は全面的に非が無いかといえば、そうでもない。彼女は携帯電話で通話しながら歩いていた。避けようと思えば自分も避けられたはずだ。ぶつかっても知らぬ顔をして走り去る男の子は悪い。故意で無いなら女性が言うように、「ごめんなさい」と謝るべきだろう。女性もまた、なぜ「危なかったわね。怪我は無い?今度は気を付けてね」くらい言えなかったのだろう。

 父親が「言い方が悪い」と引き返してまで言ったのは、彼女の言い方が余りに子どもを非難したからだろう。もちろん、ぶつかったのは自分の子どもなのだから、父親としては「申し訳ありません」と子どもに代わって謝る器量が欲しかった。そうすれば、女性の怒りも多少は収まったのかも知れない。

 竹島や尖閣諸島の問題でも、人間はどうして相手ばかりを責めるのだろう。私は領土があるから紛争が起きるのだから、領土を無くせばいいと思うけれど、多分賛成してくれる人は少ないだろう。では、どのようにして解決できるというのだろう。軍備力を強めることが一番確実な方法と言う人もいるけれど、そんなことに命を懸けるのは馬鹿げている。子どもではない、良識のある大人が話し合って解決できないとは余りに情けない。

 「幸福の国」ブータンでは、こうした争いは無いのだろうか。争いはどんな風に解決しているのだろう。友だちもこの夏にブータンに出かけていった。NHKテレビの『家族にカンパイ』でもブータンに出かけている。それだけ、日本では幸福が感じられないということだろう。幸福とは何か、もう一度見直したい気持ちがブータン王国への関心となっているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする