友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

誰もがわかるということ

2008年07月06日 22時51分52秒 | Weblog
 NPOの設立に向けて、県の担当のもとに書類を届けた。先回の話では、「1時間ほど書類審査をした後、また1時間ほどお話をさせていただきます」ということだったけれど、実際そのとおりだった。私としては完璧な書類を持ち込んだつもりだったから、多少の手直しはあるとしても、そんなに大きな変更はないと思っていた。

 書類審査は二人の女性職員が担当だったので、こういう人は細かなことを言うだろうなと思ったが、いきなり「一字一句、そのとおりに写してください」と言われた時は仰天だった。あのさ、意味がわかればいいのではないの!と言いそうなった。確かに彼女たちは、私たちが持ち込んだ書類を文字通り一字一字、丹念に読み検討してくれた。その努力はすごいと思った。けれど、そもそもこうした書類は意味がわかればいいのではないか、そう思っていた私が間違っていたとすぐに理解できた。

 長女にも言われたことだが、たくさんの人が見る書類は統一規格でなくては、何がどうなのか、わからない。なるほど、そうなると意味がわかればいいというレベルではない。誰が見てもどこがどうなっているのか、一目瞭然であるためには、全ての団体が同じ文体であった方がわかりやすいというわけである。それに書類審査に当たる職員も同じ人ではないから、結局は同じことで、誰が見ても同じスタイルの方がわかりやすいというわけである。

 担当してくれた若い女性職員は「別に間違っているというわけではないのですが」と前置きして、理解しにくい年寄りに対して控えめながら、こうしてくださいと説明してくれた。彼女たちの説明を聞いているうちに、私は、そして私たちのメンバーは納得できた。説明されたとおりに手直しすることが一番よい方法だとわかったのだ。

 いやはや大変だったという話を食事の時に話すと、長女は看護師として全国大会で発表してきた経験から、「紙の色まで決まっているところもあるのだから」と慰めてくれる。誰が見てもわかるということは、そういうことなのだと諭す。言葉では言わなかったけれど、「パパのように、一人ひとりの個性を尊重することは大事なことだけれど、そんなことが通用しない世界があることも知るべきなのよ」と。

 誠に身勝手な世界で私は生きてきてしまった。
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