考えたら、もう、新年まで11日しかない。まだ年賀状は出来上がらないのだろうか、そう思って印刷屋さんに電話をすると、「ごめんなさい。出来ています」と言う。別に急ぐ訳ではないが、1枚ずつ文面を書いているので、少し時間に余裕が欲しい。それに今年はアメリカから客を迎えるから、その準備の時間もある。
印刷された年賀状の出来はまあまあだと思う。印刷屋さんは「色刷りも出来ますよ」と言ってくれたが、昭和45年から墨色で印刷してきた。喪中で出さなかった年もあるが、手元にほぼ50枚の年賀状がある。パネルにして展示してみるのも面白いかも知れない。止めようと思った時もあるが、逆に私が死んだら、年賀状の宛先に知らせして欲しいと思い続けてきた。
カミさんの容体は少しよくなってきたと思うが、それは明日、小3の孫娘と買い物に行くための「カライバリ」なのかも知れない。カミさんの年賀状は宛先も印刷できたから、ゆっくり時間をかけて書けばいい。どんどん枚数を減らして、私の4分の1しかない。逆に私はいったん減らしたのにまた増やしている。これも死亡通知のためだ。
姉を見舞いに出かけた車中で、義弟は「早く安倍をやめさせなくてはダメだ」と息巻いていた。「金持ちばかりが優遇されるような政治はダメだ」と言い、「野党がだらしがないからダメだ」と指摘する。彼は言外に、「大学まで出て、自分勝手なことをして、政治家にもなれなかった」私が、不甲斐なく思えて仕方ないようだ。
何も反論できない。情ないが、それが現実だ。貧富の差は大きく開いたのに、それでも多くの人は食べていけない程ではないし、働いている人はよい暮らしを求めている。私たちのような年金暮らしは、金はもう決して増えないから、黙って細々と暮らす以外ない。宝くじは明日が最終日だと宣伝していた。明日、小3の孫娘と出かけるから買ってみようか。
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