友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

言葉遣い

2013年02月23日 15時17分58秒 | Weblog

 小学6年生の男の子と一緒にエレベーターに乗っていたら、途中から同じ学年の女の子が乗り込んで来た。女の子の人数が多かったからかも知れないが、男の子に向かって、「お前さ」と呼びかけている。最近では女の子が男言葉を、男の子が女言葉を使うのだろうか。言葉が時代と共に変わるのは仕方がない。実際、同じ日本語でも古語は意味さえも分からないものがある。日展で「書」を見た時も、ほとんど何が書いてあるのか分からなかった。文字が分かっても読めない。古文をすらすらと読める人の方が少ないだろう。

 昨日、書いた『時よ乳母車を押せ』の中で、高校生が自分の親に向かって、「オマエ」とか「キサマ」とか「ババア」とか言う。言葉が語っているように、家庭崩壊である。私たちの子どもの時代のように、ことさら上下関係を強調することはないと思うけれど、言葉は発する側よりも受け取る側が気持ちよいか否かではないだろうか。子どもたちが、女の子が勇ましく、男の子がなよなよと、言葉を交わしているからと他の人が気にすることはないのかも知れない。夫婦でも最近では「あなた」とか「お前」などと呼ばずに、呼び捨てで言う。せめて名前の後に、「さん」と付けたらよいのにと思うのは年寄りなのだろう。

 「嘘も方便」という言葉がある。目的のためには嘘を言ってもよいと考えられている。元々は仏教の経典に由来するようだ。家が火事となり、それを知らずに中で子どもが遊んでいる。「危ないから逃げなさい」と言っても子どもたちは耳を貸さない。そこで子どもの好きな車が外にあると嘘を言って連れ出したという話から生まれたものらしい。井戸掘り仲間の私の先輩は、「嘘は必ずバレる。嘘をつくくらいならしゃべらないことだ」と人生訓をのたまう。

 その彼が気になるのは、娘の婿が彼を「さん」付けで呼ぶことだ。娘婿にしてみれば、親しみを込めた呼び方なのだろうけれど、私たちの年代の者にとっては対等というよりもバカにされた雰囲気がある。マンションの役員をしていた時、会長だった人が他の役員に向かって、「君」呼ばわりをした。年下なのだからいいじゃーないかと思われていたかも知れないが、ここは会社の職場ではない。年齢に差があっても、役職の違いはあっても、役員としては平等である。

 どのような言葉で話しても相手がどう思うかだろう。逆に、相手のことを考えて話すなら、どんな言葉でもよいのかも知れない。さて、今日は久し振りの「誕生日会」だ。本来なら1月に行なうのだが、メンバーのひとりが転んで前歯を折ってしまったので、延期してきた。やはりこれも相手に対する思いやりだと思う。

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