友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

下ネタ話から世界経済の話へ

2011年03月31日 18時45分14秒 | Weblog
 一昨日に続いて、今日も井戸掘りをする。一昨日は5メートルほど掘り進めたところで作業を終えたので、今日こそは水脈に当たりますようにと祈る思いで作業した。しかし、5メートルの塩ビ管にさらに3メートルほど継ぎ足して一気に掘ろうと欲張ったのがいけなかった。水の重さが加わって塩ビ管は倒れて割れた。おかげで重い先端が頭に当たるところだった。ヘルメットを用意していたのに、横着をして被っていなかったが、やはりキチンと保護をして作業をしなくてはならない。この教訓に踏まえて、以後は1メートルずつ足していくことにした。それで今日は10メートルまで掘り進めたけれど、まだ水脈には当たっていない。

 この土地は濃尾平野にある。掘り進めて行くと、木片なのか植物の何か小さなものが混じった黒っぽい砂がかなり出てくる。木曽川が氾濫して樹木をなぎ倒して、それが砕けて砂の中に沈殿したのだろう。塩ビ管はこの柔らかな土壌を掘り進んでいくが、まさかどこまでもというわけではないだろう。あと一息のところまで来ているのだと、作業する私たちは思い込もうとしている。先の見通しが無ければ不安になるからだ。いつものことだけれど、こういう肉体労働が主力になってくると下ネタ話が飛び交うようになる。

 明日は統一地方選挙の県議選の告示である。「県議の誰それはヨソに女が出来て子どもまで作ったので、カミさんは選挙事務所に顔も出さんそうだ」とか、「どこそこの病院長も看護師といい仲になって子どもが出来てしまった」とか、どこで情報を仕入れてくるのか、まことしやかに噂話を始める。「男は金と権力と体力があると、みんな女をつくるがどういうわけだ」。「ここにいる連中は金も力も体力もない連中ばかりでよかったな」。「そりゃーまた違うぞ。体力なんかなくても金があれば何とでもなる」。「体力がなければ何ともならんだろう」。「その時はその時でやり方はいくらでもある」。「それじゃー、金も権力も体力もなくても、男はみんなそんなものか」。「まあ、そんなもんだ」。

 年長のかつては金も権力も体力もあった人が言うのだから説得力がある。続いて、「小泉内閣が経済成長のためだと規制緩和を行なったことが一番悪い」と話が飛ぶ。「地震災害で働く場所をなくした人を雇用して災害復興に取り組めばいい。失業者をこれ以上増したら経済はますます落ち込むことになる」。「賃金を上げすぎたから企業は安い賃金で働く中国やベトナムへ工場を移転させざるを得ないのだ」。「そうやってどんどんグローバル化が進めば、結局はどこでも同じということになり、儲けも均等化されていくだろう」。ああ、なるほどそうなりつつあるけれど、下ネタの話から世界経済の話までよくつながるものだと感心する。

 男たちはそういう話が好きだ。下ネタ話は自慢話のようなものであり、世界経済の話も一面では知識自慢のところがあるが、これからの社会を見据えようとする面が確かにあると思う。そんな風にして男たちは自分が生きてきた道を確かめ、子どもたちの範になろうとしているのだろう。

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