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責任を取らないリーダー、強いリーダーに憧れる国民

2015年07月24日 18時21分29秒 | Weblog

 明日は夏祭りの第1弾。値札書きは私の担当なので、朝から書き初めて準備した。1年に1回、筆を持つが、やはり緊張する。それでも書いていくうちに慣れてきて、初めに書いたものより後で書いたものの方が文字の勢いがいい。天気が心配だったけれど、台風12号は西に逸れ、明日も明後日も快晴のようだ。それはそれで、熱中症を心配しなくてはならない。最近の私はどうも前向きさに欠けている。

 新国立競技場の建設が二転三転し、結局、安倍首相の「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」ことになった。1300億円の予定が3000億円に膨れ上がり、一度は1625億円になったけれど、ゼネコン側が「それではラグビーW杯に間に合わない」と言い出し、再び3000億円が浮上。これが叩かれて2520億円に落ち着きかけたが、世論調査などで「高すぎる」と騒ぎ出され、安倍首相の決断となった。

 これだけを見ると、安倍首相は国民の不満を解消してくれたようにみえる。安保関連法案の審議で支持率が低下している安倍首相にとって、国立競技場問題は人気回復の絶好の機会であった。3000億円が話題となっていた時の安倍首相は全く関心がなかったのに、よく平気で豹変できると思う。何でも自分に都合よくするのが政治家の特技であることを安倍首相は見せてくれたが、これで本当に支持率が上がるなら、国民は何を考えているのかと思う。

 安保関連法案が衆議院を通過した後、小泉進次郎議員は早くも「国民の理解を得られていない原因をつくった一端は自民党自身にある」と発言したのも、先を見越した戦略だろう。お父さんの小泉純一郎氏が「自民党をぶ壊す」と発言したことに通じている。「改革者」ぶる姿に国民はすぐ騙される傾向にある。それに内容を吟味もせずに、強いリーダーに憧れるのも国民の傾向である。

 新国立競技場の建設が3000億円に膨れ上がった責任はどこにあるのかとなると、日本スポーツ振興センターも監督する文部科学省も五輪組織委員会も有識者会議も、「ウチではない」と言う。五輪組織委員会の森喜朗会長は「私は大変迷惑している」「私はあのデザインは嫌いだった」とか言い、責任はどこにもないような発言さえしている。日本人のリーダーは昔から責任を取らない。先の大戦でも責任は結局ウヤムヤのままだ。国民の傾向とリーダーの体質はリンクしているのだろう。

 明日は夏祭りのためブログを休みます。

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