茨城に帰って行く朝の食事の後、次女が「昨日の宴会に、(上の孫のダンナが)来てくれたのに、ひとりぼっちで寂しそうだった。どうして話しかけてくれなかったの」と言う。オイオイ、私は彼を気遣って話しかけていたのに、見てくれていなかったのかとガッカリした。
それに彼は酒は飲まないから、飲んで政治の話をしている中年のオヤジやジジの会話に引き込むことは、彼は嫌だろうと思い、この時は話しかけなかった。それを「思いやりが無い」と言われ、カチンときた。「だったら、気が付いたあなたが話し相手になってあげればよかったのでは」とキツイ口調で言ってしまった。
次女は「昔は優しいパパだったのに、随分変わったのね」と嘆く。「そうです。変わりました」と突き返す。どうも次女と話すといつもこんな風に行き違いになってしまう。私と孫娘のダンナとは50歳も違う。私はすっかり歳を取り過ぎた。場を盛り上げるのはもう、私ではなく中年のあなたたちだ。
私に求めるのではなく、自分が担って欲しい。次女たちが来て泊まるためには、部屋の掃除をし、フトンを5組用意し、食事の用意と片づけをする。そんな何でもないことのようだが、結構大変なのだ。体力が無くなってきたし、気配りにも欠けてきた。
キリストの言うように、「与えられるよりも与える人になりなさい」を大切な教えだと生きてきたが、それでも完璧に出来ていないことは分かる。娘からそれを指摘されるのは悲しかった。みんなが「楽しかった」と言ってくれ、私も楽しかったけれど、なぜか終わってホッとしていた。
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