昨日から、特定非営利活動法人おたすけの設立総会の準備に追われた。設立総会を今朝の10時から行なうに当たって、その議案書を準備するためだ。あらかじめ、これまでみんなで論議してきたことに踏まえて、おおよその議案は仕上げておいたけれど、実際に第何号議案というように書き込んでいくと、不都合な部分が出てきたりして、体裁を整えるのに時間がかかってしまった。
最大のピンチは印刷用紙が残り少なくなってきたことだった。500枚の紙が足りないくらいに議案は相当の紙数に膨れ上がった。それだけでも大変だったのに、予算書を書き上げていたら、数字が間違っていることに気がつき、このために何度もやり直したことが痛かった。どうも私は数字を大雑把に見るクセがあるようで、これで良しと思って印刷してから、計算間違いに気付き、印刷をやり直したりもした。
それでも何とかやり遂げ、最後の印刷を行なっていると、ピリンターが停止してしまった。画面を見ると「インクがありません」とある。インクの予備はない。万事休すである。途中で止まってしまった方は残りをコピーすることにし、数字の間違いがある方は1枚1枚手で直して持って行った。なんとまあ、情けない事務方なのかとわれながら落ち込む。
設立総会は、いつも使わせてもらっている喫茶店の2階で行なった。事前に議案書を読んで置いてくださいとお願いした甲斐あって、議事は誠にスムースに進んだ。さすがに議長は最年長だけのことはあったし、法人の代表を務める議案の提案者も何一つ迷うことなく説明できた。むしろ私の心配は杞憂であった。
これで、いよいよNPOとして活動できるのかというとそう簡単にいかない。設立総会で決議していただいた議案に基づいて、申請書類を県に提出し、書類審査と指導を受け、2ヶ月の縦覧を経て初めて許可が下りるという。「早くて、10月ですね」と県職員の方が言う。「それまでは必ず『申請中』と表記してください」と。NPOが会社の設立よりも厳しい審査を受けるのは、ボランティアが作る会社だからだと思う。
ボランティアの名を借りて、悪いことを企む連中がいるということなのだろう。私たちはお金を儲けようという気持ちはないけれど、お金を稼がなければNPOは存続できないし、多分持ち出しで事業を行うことになるだろう。私自身はそれでも良いような気がするが、NPO全体のことを考えれば、そんなことをしていれば「ただ働き」の使いやすい組織となってしまう。商品の値段の決まり方のところでも書いたけれど、需要と供給のバランスで価格が決まるのではなく、商品を提供する側が生きていられる報いで決めていくことがあってもいいのではないかと思う。
みんなが幸せになりたいと願うけれど、幸せの形も質も人それぞれだとみんなが思えば、どんな幸せもみな幸せとなる。ある人が私に「幸せって顔している」と冷やかす。ああ、私は幸せな毎日を過ごしている。申し訳ないことに、それは私の心の中のことだから、人から見れば許せないことであるかも知れない。どんな風に人は生きていくのか、その人の生涯が幸せなのか不幸なのか、他人がどうこう言えないのが真実ではないかと思う。
最大のピンチは印刷用紙が残り少なくなってきたことだった。500枚の紙が足りないくらいに議案は相当の紙数に膨れ上がった。それだけでも大変だったのに、予算書を書き上げていたら、数字が間違っていることに気がつき、このために何度もやり直したことが痛かった。どうも私は数字を大雑把に見るクセがあるようで、これで良しと思って印刷してから、計算間違いに気付き、印刷をやり直したりもした。
それでも何とかやり遂げ、最後の印刷を行なっていると、ピリンターが停止してしまった。画面を見ると「インクがありません」とある。インクの予備はない。万事休すである。途中で止まってしまった方は残りをコピーすることにし、数字の間違いがある方は1枚1枚手で直して持って行った。なんとまあ、情けない事務方なのかとわれながら落ち込む。
設立総会は、いつも使わせてもらっている喫茶店の2階で行なった。事前に議案書を読んで置いてくださいとお願いした甲斐あって、議事は誠にスムースに進んだ。さすがに議長は最年長だけのことはあったし、法人の代表を務める議案の提案者も何一つ迷うことなく説明できた。むしろ私の心配は杞憂であった。
これで、いよいよNPOとして活動できるのかというとそう簡単にいかない。設立総会で決議していただいた議案に基づいて、申請書類を県に提出し、書類審査と指導を受け、2ヶ月の縦覧を経て初めて許可が下りるという。「早くて、10月ですね」と県職員の方が言う。「それまでは必ず『申請中』と表記してください」と。NPOが会社の設立よりも厳しい審査を受けるのは、ボランティアが作る会社だからだと思う。
ボランティアの名を借りて、悪いことを企む連中がいるということなのだろう。私たちはお金を儲けようという気持ちはないけれど、お金を稼がなければNPOは存続できないし、多分持ち出しで事業を行うことになるだろう。私自身はそれでも良いような気がするが、NPO全体のことを考えれば、そんなことをしていれば「ただ働き」の使いやすい組織となってしまう。商品の値段の決まり方のところでも書いたけれど、需要と供給のバランスで価格が決まるのではなく、商品を提供する側が生きていられる報いで決めていくことがあってもいいのではないかと思う。
みんなが幸せになりたいと願うけれど、幸せの形も質も人それぞれだとみんなが思えば、どんな幸せもみな幸せとなる。ある人が私に「幸せって顔している」と冷やかす。ああ、私は幸せな毎日を過ごしている。申し訳ないことに、それは私の心の中のことだから、人から見れば許せないことであるかも知れない。どんな風に人は生きていくのか、その人の生涯が幸せなのか不幸なのか、他人がどうこう言えないのが真実ではないかと思う。
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