友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

話を聞いてもらう側にいる

2022年09月22日 17時41分17秒 | Weblog

 台風の影響で、バラが1本折れていた。私の好きな真っ赤なバラだ。迷ったけれど、鋸で根元から切り落とした。鉢から根元を取り出すと、新しい根が育っていた。先日、植え替えたところ、葉の色もよく、元気になっていたから予想は出来た。折れた幹の下から、新しい芽が出てくる可能性はあったが、諦めるべきだと思い切った。

 傷つけてまで育てるのは不憫な気がした。責任は私にある。バラ園だったが今では5鉢にまで減った。生きているものには「潮時」がある。全く逆な話だが、子どもはいつまでも子どもではない。親が気付かないうちに成長していくものだ。昨日、食事をしていた天ぷら屋で、そう思った。

 隣の席は80代の母と50代の娘だった。母は息子と同居しているようで、娘に息子の愚痴を零していた。「仕事を辞めると言うのよ」と母が言えば、「何かやりたいことがあるのよ」と娘は答える。「食事のことで文句を言う子ではなかったのに、『こんなまずいものは食えん』と怒鳴るから、嫁さんが『そんなに言うなら自分で作れば』って怒り出して」と話す。

 娘は「私だって、きっとそう言うわ」と言い切る。店を出てカミさんが、「母娘って、何でも話し合えていいわね」と羨ましそうに言う。「私は忙しかったから、娘たちに何もしてあげられなかったなあー」と。「母と娘が女同士で話し合えるのはこれからでしょう」と私。カミさんが反省するとしたら、自分の母親の愚痴を聞いてあげることだけれど、もうこの世にはいない。

 過ぎてしまったことは取り戻せないが、これから先のことなら、どういう心がけで臨めばいいか考えられる。私たちのようなジジババは、子どもたちに何かを教えたり、指図したりする立場では無く、話を聞いてもらう側にいるという自覚だろう。


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2 コメント

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Unknown (さだしです。)
2022-09-22 19:23:28
飲食店で良くある光景ですね。家庭内の揉め事的な事を平気で話してる母娘。
自分の家で話してよと思うくらいの内容も。
聞いてる訳で無く、聴こえて来るので仕方ないですが女子特有のトークには
呆れます。よね。
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Unknown (Unknown)
2022-09-22 19:57:15
聞きたくはないでしょうが別にいいんじゃない
男だって似たようなものだし。
返信する

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