友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

何だか気持ちが遠のいていく

2010年04月13日 22時54分28秒 | Weblog
 何だか気持ちが遠のいていく。「正攻法では勝てません。選挙は勝たなければ意味がありません」と言われる。選挙戦に向けて、候補者の主張を紙に印刷して全戸に配布する。もちろん、読みやすいように工夫はするし、1号、2号と展開も考える。「ここまでは誰もが行なう選挙です。それで勝てますか?勝つ戦術はありますか?」と問われる。私は、「選挙戦では細かく辻立ちを行なっていきます」と答える。「そういう正攻法で戦った結果が先回の得票でしたね。と言うことは、正攻法では勝てないということですね」と物腰も柔らかくみんなを説得される。

 プロの選挙屋と言われる人が説得しているのは私ではなく、私が応援を手伝ってきた候補者の運動員のみなさんだ。みんなは奇襲作戦がなければ勝てないと洗脳され、奇襲作戦をあてがってくれるだろうプロの選挙屋に大きく期待していく。そういう姿を見ていて、なるほど選挙とはそういうものかと私も納得する。選挙屋が後援会の入会者数から、強い地域と弱い地域を分析する。それは数字が読める人なら誰でも見えるし、私が最初に首長選挙に立候補した時に、娘たちが地図上にシールを貼り込んで見せてくれた。

 地域毎に分析したり、どの年齢層に絞り込むかとか、どういう言葉をどんな風にかけていくか、そういう細かな一つひとつの戦術をないがしろにしてよいとは思わないけれど、何かが欠けているのではないかと思う。有権者には必ず笑顔で挨拶するとか、それが極端になって電信棒にも頭を下げる気持ちになれとまで言われると、それがよいとは思えない。だから、所詮私は頭でっかちで、政治家には向かないタイプである。頭を下げる行為が馬鹿馬鹿しく思えるばかりでなく、それは有権者を馬鹿にした行為であるような気がしてならない。

 自分の主張を印刷して配る。自分の思いを辻つじで話す。もちろん、法律の範囲内であるが、自分の主張を街宣して回る。あるいはそれを書き記した看板を立てる。「そんな正攻法では現職を倒すことは出来ません」と言われるが、正攻法以外の戦いなどというものが仮に存在するとしたならば、本当にそれでよいのかと思ってしまう。私の親しい友人が「勝てない選挙はしないことだ」と指摘してくれた。ごもっとものように聞こえるが、私はそうは思っていない。勝てなくても挑まなくてはならない選挙はある。

 正攻法で思いの全てを有権者に届け、それで判断してもらうのが選挙である。そこに多少のテクニックが存在することは事実だけれど、それはあくまで枝葉の問題だ。肝心なことは、どういう考えなのか、どういう政策なのか、どういう人物なのか、そういったことではないのか。プロの選挙屋という人たちはなぜ候補を当選させたいのだろう。候補者は何を主張し、何を実現しようとしているのか、そういうことを一切抜きにして、「勝つ選挙」をするというのはどういうことなんだろう。

 私の気持ちはどんどん離れていくが、自分に求められたことに対する責任は果さなくてはならない。男がいったん約束したことだから、それは最後までやり遂げるけれど、そこには情熱はない。あるのは一種の義務である。「正攻法では勝てません」とおっしゃるならば、どうぞお好きなようにやってください。私は見させていただきます。その方がスッキリした気持ちになれますから。
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2 コメント

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悪いのは候補者かも (海住恒幸)
2010-04-14 20:29:39
「悠々素敵」さんの“義妹”さんから、選挙屋の横柄な振る舞い等について、初日の報告を受け、状況は察しておりました。しかし、問題は候補者本人ですね。候補者の姿が見えてこない。かれは、「悠々素敵」さんの友情に甘える一方で、無断で選挙屋に仕事を発注していたのでしょうか。友情に泥を塗る行為。そんな信義に反すようなことしておいて・・・。選挙屋も使いたいのであれば、「悠々素敵」さんもいるところで事前に打ち合わせて、双方納得のいく役割分担を決めなくてはね。いきなり現れ暴君ではねえ。
都合悪ければ不掲載で構いません。
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「正攻法」以外の戦いとは? (永谷 正樹)
2010-04-14 08:28:00
先日はご多用中にもかかわらずありがとうございました。
選挙モードへ突入しましたね。
町ですれ違う選挙カーから笑顔で手を振られると逆に気持ちが冷めていきます。
「市民の皆様の手となり足となって働かせていただきます」という、耳障りのよいフレーズにも辟易しています。
町の現状を明確に説明し、そのために自分は具体的に何をして、市民にどんな協力を得たいのかを語る候補者は今のところ1人も出会っていません。
「正攻法」以外の戦いというのは私も疑問です。具体的にいえば、怪文書をばらまいたり、スパイを送り込んだりすることでしょうか?
そんなことまでして勝っても候補者は嬉しいのでしょうか?法的に問題はなくても、人として、道義的な問題を犯してでも勝ちたいのが政治家なんでしょうね。
この際、鈴木さんは撤退なさったらいかがでしょうか?
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