友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画『恋愛適齢期』

2010年06月01日 19時29分38秒 | Weblog
 昨夜はひとりで食事の準備をして、ひとりでワインを飲みながら、テレビを見ていたが、どこも面白そうなものはなかった。チャンネルを衛星放送に切り替たところ、BS11で映画をやっていた。新聞で題名を見ると『恋愛適齢期』とある。しかし、どうみても主人公は老人と老女である。そのうちにだんだん面白くなって、そのまま観てしまったが、ワインを飲みながら映画を観るのはよくないなと後で思った。飲みすぎてしまった。

 アメリカ映画も面白い企画を考えるものだが、ラストシーンはなるほどアメリカ映画そのものだった。63歳の男は若い女性ばかりに興味があって、この日も若い女性の家に招かれて食事をしていた。母親は劇作家で夫とは離婚している。周りの景色からアメリカの東海岸が舞台なのかもしれない。食事の後、男は若い女性の部屋へと入っていく。若い女性といっても20代の娘だから母親は止めたりはしない。ところが部屋で男は心臓麻痺を起こし、救急車で病院へ運ばれてしまう。

 さて、ここから物語は大きく展開する。病院のイケメン医師は母親の作品を見ており、彼女を熱烈に恋していく。男はしばらく静養が必要というので母親の家に滞在する。男は次第に母親に恋心を抱くようになる。娘も男が母親に恋しているのを知って、男を諦める。イケメン医師はますます恋慕の気持ちが強くなる。母親はしかし男に惹かれていく。若い女を追いかけていた男も母親の魅力に惹かれ、やがてふたりは歓喜のSEXをする。それから何年かが過ぎ、母親はイケメン医師とパリへいく。パリで愛を告白される究極の恋愛劇を考えていたからだ。そのパリで、母親は男と再会し、ふたりは結ばれる運命にあったことを確認する。

 揺れ動く中年女性の気持ちやその変化を、そして男の単純さと深さを、面白おかしく描いていて、シリアスではないけれどなかなかの文芸物だと思った。母親が部屋の中を裸で歩く、それを男が見てしまう。SEXの話もあり、男の裸もありとサービスに気を遣っているが、脚本家としては「愛」に年齢は関係ないと描きかったのだろう。老人ホームでも恋愛劇は頻繁に起きるし、どこだったか嫉妬から事件にまで発展したことがあった。それだけ人は「愛」を求めているし、「愛」に苦しんでいる。

 先日のクラス会で何人かが、「もう男は要らない」とか「女はこりごり」とか口に出していたけれど、それは一種の照れ隠しなのだろう。運命の出会いが訪れたなら、人はたちまち恋に落ちるようにできている。ただ、運命の出会いがどこにどのようにあるのか分からないし、気付くこともないまま、あるいはたとえ気付いたとしても踏み出すことのないまま、年を重ねているのかもしれない。
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