「七夕まつり」は古代中国の神話に基づき、アジアの各地に広がっていった。中国政府の外務高官が、「頭を金髪に染めても、鼻をたかう整形しても、西洋人にはなれない」「西洋人は、中・日・韓国人の区別が出来ない」「我々は、自分たちのルーツがどこにあるか知るべきだ」と発言していたが、そのとおりだと思う。
産業革命以後、世界は西洋人によってリードされてきたが、これからはアジア人が活躍する時代になるのだろう。高校で古代中国の「漢詩」を学んだ時、精神が随分と高いと思った。アジアは農業で暮らしてきたから、家族や地域の結束を大事にしてきた。「七夕まつり」も豊穣を願う神事のようだが、私には恋物語としか残っていない。
機織りの少女と牛飼いの少年のふたりが、なぜ引き離されてしまったのか、なぜ1年に1度だけは逢うことが出来るのか、肝心な点を何も覚えていないのだ。このふたりのように愛し合っていたのに、男からの通信が途絶えてしまい、女は必死に男を探した。男の行方を知っていると言う男が現れ、「1晩付き合えば教えてやる」と女に言った。
女は悩み苦しんだ末、卑怯な男に身を許し、愛する男に再会することが出来た。ふたりは1年に1日だけは愛し合う行為を重ねてきたが、男はそれではもの足りず、女は卑怯な男に抱かれたことを悔やんで、ふたりの再会はギクシャクしていった。こうしてふたりの熱い愛も次第に冷めていった。
ロマンチックな愛を祝う「七夕まつり」のように、たとえ何があってもふたりの愛を成就させるにはどうしたら良いのだろう。愛が強ければ乗り越えられるのだろうが、強い愛とは何を意味するのだろう。中年になってから10年以上もひとりの女性と付き合いながら、男と女の関係にはならなかった友だちもいる。
愛の形は様々だ。ここでも西洋人とアジア人との違いがあるのかも知れない。「七夕」は悲しい恋物語なので、涙の雨が降ると言われている。どんな空模様なのか、ちょっと気になる。
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