寒い朝だったが、日中は日差しがあり暖かかった。「人肌が恋しい季節」というのは、暖房器具の無い時代のことなのだろうか。コマーシャルで「冬は誰かの暖かさを感じるためにある」というのを聞いた。
知らなくてもよいのに、あまりにも多くの殺人事件が報道される。「死ぬ様子が見たかった」と女の子を切りつけた中学生がいた。名古屋大学の女子大生も「死に興味がある」と言っていた。走行中の新幹線の車内で、3人を殺傷した青年は公判で、「殺すつもりでやりました」と認め、ケガをさせた2人については「残念にも殺し損ないました」と述べ、止めようとして亡くなった1人に対して「見事に殺し切りました」と言う。
加害者はいずれも対象となった被害者のことは何も考えていない。立場を逆にして考えてみるクセがあればこんな残虐な事件は起こさないだろう。あくまでも自分は生きていて、相手は痛みや苦しみの絶頂の中で死んでいく。立場が逆なら、加害者は「助けてくれ」と哀願しただろう。
戦争で「敵と戦う」人は、相手のことなど考えない。「敵」は殺し、自分は生きる、それしか考えることはない。「お国のため」とか「父母を守るため」であれば、戦うこと殺すことが正しい行為になり、躊躇もしないのだろう。
ナチスドイツで青少年団の子どもたちが、「総統よ 私たちはあなたのもの」と高らかに歌った。日本でも学校で子どもたちが声を揃えて国家を称えた。中国でも紅衛兵が気に入らない人々をやり玉に挙げていった。子どもは相手の立場まで考えない。学校に居ると、ひとりの子が「ソーレ、ソーレ」と騒ぎだすと、たちまち全員が声を揃えて囃し立てるのを見かける。
相手のことは考えない人が多い。明日は、孫娘が蒲郡ラグーナでの1泊をプレゼントしてくれたので、ブログは休みます。