友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「メーデー」は死語になったのか

2018年05月01日 17時39分07秒 | Weblog

  「メーデー」は死語になったのだろうか。「何千、何万の労働者が結集!」などと昔はニュースで取り上げられていたのに、最近は見ないし聞かない。私が教員になった頃は、メーデーは祭典に近かった。集会に参加した後、みんなで飲みに行っていた。もともとヨーロッパでは夏の訪れを祝う祭典だったのだから、先祖帰りしたということなのかも知れない。

 「メーデー」が労働者闘争のイメージになったのは、1886年5月1日にアメリカの労働組合が指導した8時間労働制を要求した統一ストから始まる。今では保守色が強いアメリカだが、当時はかなり労働組合が強かったようだ。当時は1日12時間から14時間も働かされていたのから、怒り心頭は当然だっただろう。ヨーロッパから移住してきたマルクス主義者も大勢いたという。

 第2次世界大戦後、ヨーロッパ諸国の没落でアメリカは世界の覇者となった。アメリカは核を持とうとする非同盟国に「核を持つな」と言う。同盟国の核保有も本当は気に入らないのだろうが、敵対する国の核保有は絶対に許さない。「アメリカが持っているのに、どうして他の国が持ってはいけないのか」とアメリカに言うような国はすぐに潰されてしまう。同盟国なら許すのであるから、世界中がアメリカの同盟国になってしまえばいい。そうすれば「非核」という言葉も死語になるだろう。

 爽やかな5月1日。青空にコイノボリが揺れている。女性の脚のように美しい。そっと撫でてみたくなるが、またきっと「セクハラ」と言われそうだ。レスリング協会のセクハラ・パワハラ問題は内閣府の調査でも認められた。トップの座にいると、自分に逆らう者は気に入らない。どこの組織でもそんな小権力者がいるものだ。誰もが仲良く、清々しい5月の風を気持ちよく迎えることは出来ないのだろうか。今日、中学の担任の奥さんの実家に手紙を書き、クラス誌を送った。

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