姉を迎え入れてくれた病院は、明日から年末年始の休みに入るという。私の兄が岡崎の市民病院へ運び込まれた時もそうだったけれど、ひとり暮らしの者がひとりでは暮らせなくなった時は本当に困った。相談員が「オタクで引き取ることが出来るのですか?」と言った時、兄を引き取った場合はどうなるのかと考えた。身体が動かず、話すことも出来ないから、一日中誰かがついていて世話することになる。カミさんも私も働いていたし、子どもたちはまだ小学生だった。
現実を考えれば、兄を引き取ることなど出来ない。その当時は今のように、病院に3ヶ月しか居られないということはなかったけれど、治る見込みのない患者を受け入れてくれる病院は少なかった。私の家の近くの病院に問い合わせても、どこもダメだった。相談員に全てを託する以外なかった。結局、相談員が探してくれた病院で兄は死ぬまでの13年間を過ごした。私は感謝を込めて、月1回は家族みんなで見舞いに行った。行く度に病院の事務と看護詰め所にお菓子や果物を持って行った。兄は刺身が好きだったので、刺身を持って行ったけれど、兄の身の回りの世話をしてくれるオバサンたちの分も必ず持って行った。
姉は入院した頃に比べると、随分と動けるようになっていたが、ひとりで暮らせるとは考えられない。私の家に引き取ることが無理なように、姪っ子の家も両親がいるし、仕事もあるから、受け入れてくれる病院を探さなくてはならない。幸いなことに、嫁入り先でたくさんの友だちに恵まれた姪っ子は、すぐに受け入れてくれる病院を見つけることが出来た。今日はその新しい病院へ移るというので、私も立ち会った。6日に入院した病院に比べると入院患者がダントツに多いリハビリテーション病院である。
お昼も食堂で一緒に食べ、その後のリハビリの様子も見させていただき、「じゃー、今日はこれで帰るからね」と姪っ子が言うと、姉はキョトンとした顔で「帰るのかね」と聞き返した。「母さんはここでお世話になるの。また明日来るから」と説明するが、「ここで?何でかねえ?」と納得いかない様子だった。私の父親が残していったアルバムを見せた時も、父親や祖父母や叔母たちの写真を「知らない」と言う。けれど、母親とその祖父母らとの写真を見た時は「これはお爺さんで、これが私」と幼い時の姉を指差した。人が歳を取るということはこういうことかと思った。
明日から1月5日まではブログを休みます。いつも読んでいただきありがとうございます。では、よいお年をお迎えください。