友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画『アンナ・カレーニナ』

2013年05月11日 19時11分08秒 | Weblog

 何十年ぶりかで、ひとりで映画を観てきた。食事もそうだけれど、映画や芝居や音楽会や美術館巡りや名所・旧跡巡りなど、ひとりでは味気ないからなのか、誰かと一緒の方が楽しい。映画『アンナ・カレーニナ』を観に行きたかったけれど、結局誰も付き合ってくれなかった。『レ・ミゼラブル』のスタッフが制作したということも観たい要因のひとつだったが、映画がどのように描いるかという興味もあった。

 『アンナ・カレーニナ』はトルストイの原作で、私は読まなかったけれど、児童向けの世界文学全集に編纂させているのではないだろうか。ここまで書いて、この物語を児童向けに翻訳した人はたいしたものだと感心してしまった。『アンナ・カレーニナ』に感動した女性の話を聞いて、読んでいなかった私は恥ずかしくなって読んだけれど、愛するってどういうことかという永遠の課題に迫っているが、人妻の不倫の物語である。

 私の中では、トルストイはキリスト教的人道主義の作家で、ドストエフスキーの方が社会と人とのかかわりを深く追求していると思い込んでいた。けれども、『アンナ・カレーニナ』を読んで、革命前のロシアの状況がよくわかったし、トルストイの晩年を描いた映画『終着駅』を観て、トルストイ自身が農奴を解放し、愛と自由と平等の社会を創ろうとしていたことも知った。書籍が飛ぶように売れた時代ではなかったはずで、トルストイはなぜこの物語を書いたのだろうと映画を観ながら思った。

 映画は小説を資料にしているけれど、全く別の作品に仕上がっていた。『レ・ミゼラブル』が全編ミュージカル仕立てなら、『アンナ・カレーニナ』は舞台仕立てに作り上げられていた。長い物語を上映時間2時間余にまとめ上げた手法もたいしたものだと思ったし、アンナ役の女優も美しく情熱的だったし、スケコマシ的なヴロンスキーが次第に誠実な男に変身していくのもよかったと思う。

 小説の結末と映画の終わり方は違うような気がするが、トルストイの時代はどんなに愛し合っていたとしても、不倫は悲劇に終わる。けれど、林真理子さんの小説や岸恵子さんの小説では悲劇扱いにはなっていない。人はいつの時代でも人を愛さずにいられない。たとえそれを不道徳と非難されようが、恋に落ちてしまえば誰にも止められない。映画の中のセリフに、「愛は、痛みか至福かだ」とあった。

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