友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人の世は不思議だ

2012年03月01日 19時07分47秒 | Weblog

 本当は昨日、この記事を見つけたかった。1772年2月29日、江戸で大火事が起きた。目黒行人坂の大円寺から出火し、消失町数934町、死者1万4千人と伝えられる江戸3大火事のひとつだ。原因は放火だった。「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるくらい、江戸では火事が多かった。徳川家康が江戸に幕府を開いた頃は、人口は40万人そこそこであったが、元禄の頃には80万人と推測されている。この火事の前、享保の時代には100万人を超えていたそうだ。狭い土地に木造の家が立ち並んでいるのだから、一度燃え出したら止めることは出来ない。火消しの最大の目的は延焼を最小限すること言われている。

 

 1772年は明和9年にあたり、田沼意次が老中職にあった。武家政治は行き詰まりかけ、賄賂が幅を利かすようになっていた。庶民の暮らしは苦しくなっていた。田舎では暮らせない者が江戸に流れ込んで来ていた。幕府の権力はゆるがないが、しかし先の見えない。何ともやりきれない思いが社会を支配していた。そういう時代には、うっぷん晴らしが生まれる。和歌の形式を踏まえて風刺や皮肉、滑稽を詠み込んだ狂歌が大流行した。明和9年は大火事が起きたから縁起が悪いと、安永と年号を改めた。しかし、物価高は収まらず庶民の嘆きは次の歌となった。「年号は 安く永くと 変われども 諸色高直 今に明和九」。

 

 人の知恵はなかなか深いと感心していると、高校2年の孫娘が帰宅の途中に立ち寄ってくれた。今日は高校の卒業式である。「卒業式はどうだった?」と聞くと、「感激した」と答える。私たちの頃の卒業式は厳粛そのものだったけれど、孫娘の高校の卒業式はまるでアメリカの学校のように華やかだ。卒業生が退席する時、後輩らが先輩の名前を大声で呼ぶ。すると先輩はお菓子の袋を取り出して後輩たちに向かって投げる。さながら結婚式のようでもあり、豆まきのようでもある。じめじめした感傷的な雰囲気は一切無くて、「とっても楽しかった」と言う。けれどもこの伝統は縮小されそうになっていると話す。

 

 校長はこうした卒業式をよく思っていないみたいで、騒いだりお菓子を投げたりすることを禁止する意向のようだ。「私たちの学校の伝統なのだから、禁止することないのにね」と孫娘は言う。そして、「ママも私の高校が理解できないと言うの」と、ちょっと寂しそうに付け加える。長女が卒業した高校と孫娘が通う高校では地域差もあるし、時代差もある。私たちの頃からみればさらにその差は大きい。卒業式の厳粛さを今は懐かしく感じるけれど、当時の私はどうしてこうも日本人は形式にこだわるのかと腹を立てていた。時代と共に変化があるのは仕方の無いことだ。

 

 江戸の火事の原因は放火が多かったようだがで、これは今も変わらない。歌舞伎の八百屋お七は、火事のために避難した寺で出会った小姓が好きになり、火事になればまた会えると火を付けて回った物語だ。火事を花見と言う風習もある。火事は全てを焼き尽くすから物が足りなくなる。つまり物価は上がる。物価が上がれば金儲けできると喜ぶ人がいる。江戸の経済を支えたのは火事と言う人もいる。津波や原発事故で住むところを失った人が大勢いるのに、これで経済は上向くと言われている。人の世は不思議だ。

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