ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

いよいよ9月14日が最終日。「京の夏の旅」の特別公開「島原 角屋(すみや)」へ。

2014-08-31 | 歴史・史跡


7月から始まった「第39回 京の夏の旅」も、9月に終了を迎えます。
この夏、ミモロが行ったのは、京都の西、島原にある国指定重要文化財になっている「角屋(すみや)」です。
 
ここは、揚屋建築唯一の遺構といわれるところで、建物、庭、襖絵などがみどころ。
この特別公開の時期以外は、「角屋おもてなしの文化美術館」として公開されています。

江戸以降、花街として発展した島原。「京都に島原って、なんか九州の長崎みたい…」とミモロ。そう呼ばれるのは、寛永18年(1641)に、現在の地に、「六条三筋町」から移転した時、バタバタと大混乱になり、それが、九州で起きた島原の乱の混乱を思わせたことからとか…。正式には、「西新屋敷」と言います。

ここ「角屋」は、揚屋(あげや)という、今でいえば、料亭。幕末、新撰組なども宴会をしに訪れたそう。そこで、ミモロも侍姿で出かけることに…。
  
華やかな赤い壁は、ここが高級なお店であることの証とか…。「そういえば、祇園の『一力』さんも赤い壁してる…」
「ごめん~」と、ミモロは、すっかりお侍気分…。

「あ、新撰組の刀傷だって…ここのところ…」持ってきた小さな刀を抜いて、「こんな感じ…」と。
 お酒に酔った侍たちが、衝突したのかも…。

建物内部は、帯刀は、ご法度。入り口には、刀を預け、中へ。
ミモロも刀をしまいます。

内部は、江戸時代そのまま。広い「網代の間」など、大きなお座敷が、お客を迎えていたのです。
 
「夜は、もっと暗かったんだろうなぁ…」
 
行燈の灯りだけで、すごす宴会…きっと今とは、違った趣だったことでしょう。

「網代の間」というだけあって、天井の網代は、大きくダイナミック。長い1本の杉が、何本も天井に…。

古い建造物で、驚くのは、建材の見事さ。今では、とても調達できそうもない木材などが、ふんだんに使われています。

「なんかこの中庭もいい感じ…」
しばし、寛ぐミモロ…。奥にもりっぱなお座敷があるそうよ…。「ホント?」と言いながら、建物の中をさらに奥に。
 「うわー広いお庭…」
「臥龍松の庭」と呼ばれ、龍の姿のように松が、庭の中心部に、枝を伸ばしています。「この松は、2代目、大きな初代の松が枯れ、現在は、3本の松で、昔の姿を作っています」とボランティアガイドの方。

「松の後ろ、桜の木だ…」 そう、大きなしだれ桜があり、春は、隠れた名所だとか…。


「花街にある店ということで、夜だけしか使われないと思う人も多いでしょうが、庭には、茶室があり、昼間も、いろいろな宴が催されたのがわかります。これが、『揚屋』の特徴のひとつです」と、説明が…。

さて、お座敷の「松の間」は…品格ある書院造りの大広間です。
 
「ここが、『松の間』というのは、ここから松を見るからです…」と。「へぇ、わかりやすい…。でも、普通は、松の絵が描かれた襖絵なんかがあるから、そう呼ばれるのに…ここは、お庭の松なんだ…」とミモロ。

「この座敷は、新撰組の人たちが大勢来て、宴会をしたんですよ」と。「えー近藤勇、土方歳三、沖田総司なんかも、この座敷に座ってたのかな…」と想像をめぐらすミモロ。でも、この座敷だけは、後年のボヤで、建て直された大正期の建物。「だから、ここだけ、重要文化財ではないんです…」と。

ところで、宴会をするために、島原では、太夫と呼ばれる女性が接待します。
「映画なんか見ると、『太夫(たゆう)』と『花魁(おいらん)』がゴチャゴチャになってますね~」とガイドの方。
「太夫」は、宴席で接待する女性で、歌や舞など、芸でもてなす花街の最高位に君臨します。「太夫には、商家の娘さんなどが、子供のころから、芸だけでなく、書、和歌、茶道、お花など、あらゆる文化的な教養を修練したんです。まさに美と教養がなくては、太夫にはなれません。
一方、花魁は、遊郭の最高位の女性。遊郭は、色を売るところ。太夫と花魁は、帯を前に結ぶので、そこで一緒になってしまうのかもしれませんが、太夫は、心という形に帯を結び、花魁は、だらりと帯を垂らしています。また、道中では、花魁は、男衆の肩に手をのせて進みますが、太夫は、一人で歩きます」と…。

「へぇー知らなかった…今度、映画よく見てみよう…」とミモロ。

また、揚屋の特徴は、宴会料理を作る大きな台所があること。
 
台所には、裏階段があり、どのお座敷にも、スムーズに料理が運べるように工夫されているそう。
「まるでホテルのバックヤードみたい…」。もちろん別の座敷のお客同士が、顔を合わせないように、設計されているのだとか…。「江戸時代は、ここでたくさんの人たちが、きっと忙しく働いていたんだろうなぁ~」と、たくさんの竈では、さぞやいろいろな料理が作られたことでしょう。

新撰組の初代局長、芹沢鴨を暗殺のために、泥酔させたのも、ここ「角屋」のお座敷だったそう。「酒の強い芹沢に、何十人もの新撰組のメンバーが、つぎつぎ、酒を勧めたそうです」とガイドの方の説明も…。

幕末の京都にあって、「角屋」は、さまざまな場面の舞台となっていたのです。

明治以降、すっかり廃れた島原…。今は、「角屋」「輪違屋」そして「大門」が、当時の姿をとどめています。

*「角屋」京都市下京区西新屋敷揚屋町32 075-351-0024 JR「丹波口」から徒歩7分。9月14日(10:00~16:00)まで「京の夏の旅」で1階部分のみ公開。9月15日からは、「角屋もてなしの文化美術館」として通常公開。



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