このごろ思うんですが
会話でとか、話し合いで『話をする』っていっても、
色々あるんですねぇ。
わたしは、
「お互いを分かり合いたい。深く理解し合いたい」
そんな気持ちで話をしたい、って思うときにも、
そんな風でもないような人がいる。
例えば。
自説や、いま思ってることをしゃべりたい。
人が聞いて(求めて)いることとズレてても気付かないらしい。
我田引水、というのも含めて。
自分がこんなによく知っている・考えられる・取り組んでいる、
といったことを認めてほしい。微妙にそんな臭いが感じられる。
(ほんの小さな断片から、全体を把握したかのように結論づけたり。)
聞いてくるのも、興味・関心から。
(そういう話は、うわっつらの うわさ話としてすぐに広まるようで。。)
かく言う私も、このつたないブログで、まぁベラベラ喋ること喋ること・・・。
その都度、目的は違いますが――、
私は、口で喋るとき、頭の中でうまく組み立てられないことがよくあるし、
大勢(10人くらいでも、私にとっては『大勢』)の前で喋ろうとするだけで
心臓がドキドキしてきちゃう。
(過去には30人40人の車座の話合いでも平気でしゃべっていた時期もあるので、
慣れ、だとは思うんですが。)
というようなこともあって、ブログや自分のノートなどは、
自分の頭や心を整理しようとしながら書いて(打って)ることが多いです。
で 後日、そのポイントや、探し出した表現など思い出しながら、人と会話したり。
でも、ただ とにかく出し合う ということが必要な場合もありますしね。
ま、イロイロあるけど、
未熟なお互い。
それぞれ成長過程なんですよね。
(――って自分に言い聞かせてます)