michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

聴こえることを前提にした催しなんですよね   〔聴こえ〕

2011-10-03 07:41:24 | Weblog

先日、ある講演会があった。

行きたい気持ちはあったけれど、

聴こえるワケがない。

  (Netに記録として動画がアップされても、

   蚊の鳴くようにしか聴こえないものも )

 

誰か、パソコンを使って通訳を

お願いしてみようかとも思ったけれど、

自分の気持ちをよく見てみたら、

「そこまでして、どーしても、是非ぜひ参加したいってほどじゃないよね

という感じなので、参加しなかった。

 

行った人の感想を聞かせてもらうと、有意義だった様子。

やっぱり頼むだけ頼んでみたら良かったかなぁ~。

でもね、、

その講演やイベントなどに参加する人は、

難聴者の通訳のために参加するわけじゃなく、自分が参加したいから行くんですよね。

それを邪魔したくない。

  それって、遠慮とはちがう。

  純粋に、その人が存分に味わってほしい、って思えてくるんです。

 

書くにせよ、パソコン打つにせよ、

講演など聴いたものを同時通訳で文字や文にするって、

すっごく集中してエネルギーがいるらしい。

 これ、当然だと思う。もし自分がやると想像してみたら分かります。

 

そして、正直に言うと、

それを読ませてもらう側も、結構エネルギー要るんですよね。

で結局、少しずつ、

聴こえることを前提にしたような集まりからは

 遠ざかっていくことに。。

 

私は、目に見える形になったもの(netや、掲示板・新聞etc...)を

じっくり読ませてもらってる。

また、身近な人で、難聴に理解のある人と、1対1で(ナントカ)話をしたり。

  そういうものでいこうかと思ってるけど、

    ずっとこれで良いのなぁ――っていう気持ちもあるのよね。。

 

 

 

コメント
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