michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

「受けとめられる人」になりたい。それはそれで良いけどネ   〔関わりあい〕

2011-10-31 07:41:27 | Weblog

今日は、ホントに『つぶやき日記』になりそうです。 

 

きのう ナンたらカンたら書いた内容を思い出してみると、

自分の中に「人のことを、ありのまま受けられるのが良い」

「大らかに受けとめられる人になりたい

 みたいなのがあるみたい。

  それはそれで間違ってないとは思うけどね。。

 

 

ゆうべ『ダーウィンが来た』を見た。

これ、字幕放送が見れるようになってからチョクチョク見るようになった。

 

まず、オープニング曲。

これ、以前はどんなに集中して推測働かせても

「ボクたちは…」と「宇宙~」しか聴き取れなかった。

ほかの部分は「△△って言ってるのかなぁ?」「##って言ったの??」

って感じのところもあったり、

日本語か英語かも分からなかったり。

それが歌詞全部、字幕で出るようになり、ゆったり安心して聴けるようになった。

  イェ~イ

 

ナレーションは、字幕なかった時、大まかには聴き取れたけれど、

ひげじいのような声は難しく、

いつも最後にダジャレのようなことを言ってるらしいことは分かるけど、

ナニ言ってるのか いつも全然分からなかった。

 

「おもしろいこと言ってるらしい」とまで分かっているにもかかわらず、

言ってる内容が分からない。

――これほどつまらないことは無いのです。

  (分からなくても一緒に、それなりに楽しめたら良いんでしょうけど

 

 

身近な話合いで、よく筆記してもらってたけど、

雑談・談笑の部分は、書いてもらえないことが多い。

みんなが楽しそうにドッと笑ってるとき、ナニ言ってるのかワカラナイ。

そういう時って、寂しくなったり。

筆記してくれる人は手を止めて笑ってる。

そりゃ、ずっと書いてたら疲れるし、そういう時くらい

ちょっと一休みして笑っていたいよね、、と

その人の気持ちが分かって、受けとめてしまう。

  そんな風になる場面が多かった。

 

 結局どっちつかずなのよね…。

そうして、なんとか自分の心の中で納めてしまう。

  そんなクセがついちゃったのかな。。

 

 

 

 

コメント
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