michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

『話をする』――なんのために?  〔関わりあい〕

2011-10-27 07:40:26 | Weblog

このごろ思うんですが 

会話でとか、話し合いで『話をする』っていっても、

色々あるんですねぇ。

  わたしは、

  「お互いを分かり合いたい。深く理解し合いたい」

   そんな気持ちで話をしたい、って思うときにも、

   そんな風でもないような人がいる。

 

例えば。

自説や、いま思ってることをしゃべりたい。

 人が聞いて(求めて)いることとズレてても気付かないらしい。

 我田引水、というのも含めて。

自分がこんなによく知っている・考えられる・取り組んでいる、

 といったことを認めてほしい。微妙にそんな臭いが感じられる。

 (ほんの小さな断片から、全体を把握したかのように結論づけたり。)

 

聞いてくるのも、興味・関心から。

 (そういう話は、うわっつらの うわさ話としてすぐに広まるようで。。)

 

かく言う私も、このつたないブログで、まぁベラベラ喋ること喋ること・・・。

その都度、目的は違いますが――、

 

 私は、口で喋るとき、頭の中でうまく組み立てられないことがよくあるし、

 大勢(10人くらいでも、私にとっては『大勢』)の前で喋ろうとするだけで

 心臓がドキドキしてきちゃう。

 (過去には30人40人の車座の話合いでも平気でしゃべっていた時期もあるので、

 慣れ、だとは思うんですが。)

というようなこともあって、ブログや自分のノートなどは、

自分の頭や心を整理しようとしながら書いて(打って)ることが多いです。

で 後日、そのポイントや、探し出した表現など思い出しながら、人と会話したり。

       

でも、ただ とにかく出し合う ということが必要な場合もありますしね。

 ま、イロイロあるけど、

  未熟なお互い。

それぞれ成長過程なんですよね。

  (――って自分に言い聞かせてます

 

 

 

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