初夏の晴れた日。今日は大吉と涼子の結婚式当日。支度を終えた涼子は、花嫁の控え室でドキドキしながら式の始まるのを待っていた。大吉も一人、控え室で落ち着かない様子。二人が結婚を決意するまでには、いろいろなことがあったのだろう。
大吉には一つだけ心残りがあった。それは、いちばん喜んでほしかった妹を、ここに呼ぶことができなかったこと。もう、七年も音信不通のままになっていた。
控え室のドアをノックする音で、大吉は我に返った。もう式の始まる時間である。きっと式場の人が呼びに来たのだと思い、大吉は「どうぞ」と声をかけた。しかし、誰も入っては来なかった。大吉は誰かが悪戯でもしたのかと、ドアを開けてみた。
「えっ…」大吉は思わず声をあげた。ドアの外には、きれいに着飾った若い女性が立っていたのだ。それも、見覚えのある。
「お兄ちゃん…」その女性は、恥ずかしそうにそう言って、「元気にしてた?」
「あゆみ…。おまえ……」あまりの驚きに、大吉は言葉が出なかった。
「お兄ちゃん、結婚するんだ」あゆみは控え室に入って、大吉の服装をチェックしながら、「なかなか、格好いいじゃない」
大吉はたまっていた思いを吐き出すように、「おまえ、どこにいたんだ! お兄ちゃん、どれだけ心配したか。急に家、飛び出して。それで…、みんな…」
「ごめんね。勝手なことばっかりして…」
あゆみは大吉の胸に飛び込んだ。大吉も優しく妹を抱きとめた。ひとしきり兄の胸で泣いたあゆみは、「お兄ちゃんに、言っておきたいことがあるの」
「そんなことより」大吉はあゆみの手を取り、「母さんに顔を見せてやれ。どれだけ会いたがっていたか」あゆみはその手を振りほどいて、「もう、時間がないの」
「なに言ってるんだ。じゃ、俺が呼んできてやるよ」
「待って! ねえ、聞いてよ。私の話を」
大吉は、妹の真剣な表情に足を止めた。
「私、お兄ちゃんから、いろんなものをいっぱいもらってたんだよね。小学校の運動会のとき、一番大きな声で応援してくれた。中学で陸上部に入ったときも、お兄ちゃんが励ましてくれたから、最後まで走れたの。大学の受験を失敗したときも、ひと晩中、側にいてくれたよね。それなのに私…。でもね、ずっと帰りたかったんだ。帰りたかったけど…」
「もう、いいよ。おまえは…、ちゃんと帰って来たじゃないか」
「今まで、ありがとう。こんなダメな妹だったけど、ほんとに、ありがとう」
「なに言ってるんだよ。おまえは俺の大事な妹じゃないか。そんなことは…」
大吉はドアのノックの音で目が覚めた。いつの間に眠ってしまったのだろう。ただ、妹のぬくもりがまだ手に残っているようで、どうしても夢だとは思えなかった。
大吉のもとに訃報が届いたのは、結婚式から一週間後だった。妹の友人が遺品の整理をしていて、大吉の住所を見つけたのだ。重い病気にかかり入院して、結婚式のあった日に昏睡状態になり、数時間後に息を引き取ったそうである。
<つぶやき>大切な人って、知らない間に心の奥に入り込み、気づくとそこにいるんです。
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