わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

「墨東とわたし」 自画持参0.9回に行ってきた!

2010-12-04 08:53:05 | オトナの学び
自画持参ワークショップ0.9回に行ってきました。墨大の授業でもある。
なんで、0.9回かって言ったら、長岡先生が参加できなかったから、2人揃わないところで記念すべき第1回をやっちゃうのはないよね、という加藤先生のはからいだそう。


自画持参についてはこんなやり方をします。

  1)名前を書いた紙をガチャ玉に入れます (A)
  2)その日のテーマに即した「聞きたい話」のお題を考えて紙に書き、ガチャ玉に入れます (B)
     ここまでは参加者全員がやります。
  3)(B)のお題のガチャ玉をひとつ引きます
  4)自分が話者になったら何を喋るかを2分間考えます
  5)(A)の名前の書いたガチャ玉をひとつ引きます 話者決定です。 3分間話します。
  6)ゆるゆるダイアローグ

以上。


今回は、リアルに本物のがちゃがちゃを使っての自画持参。
 

この仕組みのおもしろさはいくつかあって
・予定調和的に、登壇者があらかじめ決まったテーマで話さない、話せない。
・話し手と聞き手がいとも簡単に入れ替わることの緊張感(個人的にはそこから生まれる助け合い精神的なものが興味深い)
・3分間で話を組み立てる、オチまで考える そしてそのテーマは直前にしか知らされないし、自分が書いたものかもしれない 
・とにかく喋らなければならないので、ありえない、そー来たか!的な話が聴ける(こともある)ここから創発的なものが生まれる?
などなど。


0.9回は墨大の授業も兼ねていたので、参加者は加藤先生、岡部先生、まち見世事務局、もとい墨大職員のなかじ、加藤ゼミの学生さんたちにあたし、ともうひと方社会人のかわべさん。
加藤ゼミが主流派でそこはリアルで知っていて、既に親和しているから「はじめまして」的な緊張感はあんまりない。


今回のテーマは「墨東とわたし」。4回のガチャトークでガチャ玉から出てきたのは以下。
 ・懐かしさ
 ・好きな店
 ・はじめてスカイツリーを見た日
 ・墨大をもっと知ってもらうために何をすればいいですか?

上3つは加藤ゼミの学生さんが引き当てた。結構上手に喋っていて感心したー。最近の大学教育は違うんですかね?一方的に話を聴くだけでなくアウトプットが求められるから?シューカツの威力?何にしてもあたしたちが大学生の頃ってこんなにうまく喋れただろうか?と思っちゃった。いまどきの、なんて言うのはもっと彼らと付き合ってからにしないといかんよね、と。
最後のはあたしが引いた。今回は伝説の木村さんがいなかったからなぁ、確率が高まりました(笑)


印象的だったこといくつか。


2分を過ぎると、いったんそこで話すことがなくなる。これは2分間で考えて3分で喋る、という設計上、致し方ないのかな?でも2分間、一字一句考えているわけではなくてプロットを組み立てるんだから、2分の思考で3分のトークって言うのは理屈上では可能なはず、でも、なぜか2分で「え?まだあと1分あるの?」となる。この時間感覚の不思議さ。
実際に話し手になってみてもそうだった。こう見えても(どう見えて?)社会人だと限られた時間でプレゼンするって機会はあるから、それなりに時間に収めるってことはできる。たかをくくってたけど、やっぱり残り1分ってところで「うっ」と詰まった。


だからと言って、残り1分のトークが「ほんとに言いたかったこと」なわけでもなさそう。
残り1分のアタマが真っ白になって、でもとにかく喋らなきゃならないっていう切羽詰まった状況に追い込まれている状況で、アタマに浮かんだことが本音なんだよ、はオチとして美しいけど、今回はそんな感じはしなかったなー、つけ足して無理やり話しを引っ張ったって感じがした。実際のところはどうなんだろ?


0.5回のときは、オトナばかりだったからか、はたまた必要以上に「脱・予定調和」を意識していたからか、どんなテーマが出てくるのか、誰が喋るのかっていうのにびくびくドキドキしていた。でも今回は全然ない。学生さんたちは緊張してたんかな?でも引いちゃったらその時はその時、なんとかなるっしょ、っていういい意味でのゆるさ、があったように思った。
0.5回のときは「まったく喋れなかったどうする?初の立ち往生?」というビビりがあったけど、今回は全然ない。
それは、参加者がある程度親和していて、ここでは失敗してもだいじょうぶ、笑って許されるっていう前提があったからかな?あたしにとっても、学生さんたちとは「はじめまして」だけど加藤先生や岡部先生、なかじ、と知ってる人がいるから安心感はあった。かわべさんが引いてたたらまた何か違ったのかもしれないけどね。


あと、0.5回の時はお題をひねり過ぎ、ってのもあったのかも。ええええええええー?これで喋れと???というようなお題。ギャル文化、パギャル文化とかね。だから余計にドキドキした。それは誰が引いても「何を喋ったらいいんだー?」というおろおろっぷりが伝わってきちゃうから、聞き手はめっちゃ傾聴する。だいじょうぶ?見守ってるよ、何話してもいいよ、的な助け合い。
で、この傾聴があるから話し手は平常心を取り戻して3分間喋れる。(そういや、0.5回のときには「あと1分?話すことないよー」は感じなかったな。)
でも、今回はあんまり「傾聴」感は感じなかった。オトナ特有のものなんかな? 加藤先生や岡部先生、途中参加の大橋さんからは傾聴をばんばん感じて、それで安心できた、っていうのもあったかなぁ。


で、この自画持参ワークショップ。
いろんな目的に使えるなーと思っていて

  1)話すテーマの面白さ/多様さ
    →何が出てくるかわからない、誰が話すかわからない、
     そして切羽詰まった状況なので、思いがけない話ができる
     ある意味、イノベーティブな創造が生まれる?

  2)プレゼンテーションとしての面白さ
    →準備はたったの2分。それだけでオチまで考えて3分間のトークをする。
     話力、構成力がつくよね

  3)リアルな場での会話
    →その場所で会って話すことの意味がある
     多分、今回は「墨東」で「墨東」のことを語ることに意味があったように思った


どれもあり、なんだろうけど、この手法を意図的に取り入れるならば、どこかに軸足を持った方がいいな、とは思った。


ちなみに、今回のあたしは明らかに2)だった。ホントにそれが販促効果があるのかと考えたわけではなくって(もちろん2分間の間にはそれなりに考えたけど)3分間でどう話をまとめるか、どうオチを作るかに重きを置いていた。まさに3分間のエンタメショー。旨く行ったかどうかで行けば3分ちょうどで収まったし、Aの話をしてたらもうネタ切れになっちゃったので、Bの話をしまーす的にはならず、終始Aの話が出来たので、3分のトークを完成させる、と言う点では旨く行ったんだと思う。


なんとなく、なんですけどね、ワークショップ的には1)の方が、らしい。
思いがけない話が出てきて、そこから何を学ぶか、何を掴むかってことがうまくコーディネートできたらおもしろいだろうなぁ。


来週、自画持参形式を取り入れたワークショップをやるんだけど、そこでの目的は1)に置いている。


研修の一環でやるので、絶対に伝えなきゃならないこと、持ち帰ってもらいたい、いわば予定調和なものがあるから、話してもらうテーマはみんなには決めてもらわずあらかじめセレクトしておく、けど、話すのは誰かわからない。そして話すテーマはジンザイイクセイに関するもので、はっきり言っちゃうと答えはない。やる気のないメンバーをどうすればいいと思いますか?的な話題
だから。
答えのない問題を考えるには教わっちゃダメで、自分で考える。だから研修、ワークショップのコーディネーター、ファシリテーターである三日月さんがなんらかヒントをくれる、最後にはまとめてくれる、ではなくって、『わたし』がみんなに教える、という主客逆転、というか、誰もが教える存在になるのだ、ってことを狙っている。そう、自分ごととして考えるためのツールとして使おうと思っている。


そして3)っていうのも重要な気がする。
その場だから話す意味っていうのもあるような気がする。それは単に土地や地域だけの問題ではなくって、集まった人がそこで、リアルな場で話すことの意味。まだうまく考えがまとまっていないんだけど、0.9回は『墨東』で『墨東』を語れて、道行くおぢちゃんたちの奇異な視線も含めて、『墨東』っていうリアルな場でのガチャトークだったからおもしろかったような気がする。


0.5回とは違う気づきあり。いよいよ1.0回のときにはどうなるんだろ?
そして、来週の社内ワークショップ、楽しみ!

 
  



コメント
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