わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

越境学習で何を学ぶか。越境学習その2。

2010-11-14 13:43:12 | オトナの学び
昨日書いた「なんであたしは越境学習してるの?」。あまりにもわけわかんない内容になってしまったので、ちょっと違う視点でまとめ直してみます。


結論としては、
あたしが越境する理由は、突き詰めて行くと
 
 「越境学習してる=他に行く場所ある あたしってイケてるでしょ」って優越感

なんだと思ってます。


でもそれじゃあ、あまりにも学習者として寒いので、ラーニングイノベーション論の最後に中原先生が投げかけてくださった3段階目の「越境学習」と合わせて考えてみます。


昨日も書いたけど、最近のあたしは越境学習しに行くときには、面倒なので黙っていく。面倒な理由は何かって言ったら、「それに行って何になるの?」という問いに答えられないから。
昨日お会いした人は「その場に行って、世間の人たちはこんなすごいことを考えているのか、言うのかっていうのを身近に感じるだけでも意味がある(=健全な劣等感を持つ」と言ってくださったんだけど、「気づき」っていうのは内面のことなので、他者にはわかりにくい。カイシャってやつはわかりやすい成果を期待するから、「気づきや刺激を受けるだけでも価値がある」というのは声高らかには言いにくい。


それに、クレバーで感度の高い方たちは、何したって「気づき」は得られるわけです。それこそ、石ころからだって学べる。でも、ニンゲンはすべからく生まれながらのLearnerなのだ、と言うのであれば、今はそうじゃない人たちに対しては、きっかけは提供すべきなんじゃないか、と思う。でも、目に見える、手に取れる効果・成果がわからないと二の足を踏みがち。これが越境学習を阻む理由な気がします。


当社の事情で言えば、
あたしは全社の人材開発担当という役割と、大学院行ったりして勉強するのが好き(と映っているらしい)だというキャラクターによって、三日月さんはそういう人=越境学習する人、って認知されています。
でも、あまりにもそのキャラが強すぎて、三日月さんのマネしよう、とは思ってもらえない。別の世界の人なんですね。


で、最近のあたしは、この外学びの楽しさやおもしろさ、そして効果について(効果という点で言えば、少なくともケイエイキカク部門での仕事には相当、外で学んできたことを注入しとるもん)広報・普及活動をしていきたい、と思っている。
けど、阻まれる。


それが「で、どんな効果があるの?」


外に出ることって、果たして効果があることなんでしょうか?
越境しっぱなし、では越境学習ではなくてそれは場所を変える=引っ越すことになるから越境学習ではない。越境学習者は元いた場所に戻る。元いた場所に戻る、というのは、つまり、学んだことを持ちかえるってこと。


ラーニングイノベーション論の最後に中原先生がおっしゃっていたこととブログに書かれていたことをまとめると、

 越境第1段階:誰かの作った学びの場に参加すること
 越境第2段階:学びの場との相互交流≒持ち帰る
 越境第3段階:自分で学びの場を作ること

となるんだと思います。あくまで、あたしの浅い理解ですが(^^ゞ


こんな感じかな?




ぢゃあ、越境学習することの効果って?っていうのを考えると

 ■第1段階:外に出る
   ・新しい知識を知る、身につく
   ・刺激や気づきが得られる
   ・健全な劣等感が得られる

 ■第2段階:持ち帰る
   ・知識を使ってみる(自分の仕事で)
   ・応用してみる
   ・他者に伝える、教える

 ■第3段階:場を作る
   ・今までの知識や知見を総動員する≒学びほぐしが行われる?
   ・学習者を育てる/仲間を作る

となるのかなー?


何が言いたいかって言うとね、誤解を恐れずに言うと、あたしはそんなに優秀じゃない。そして、当社のメンバーも優秀じゃない。優秀じゃないっていうよりも学習機会は圧倒的に少ない状態にある。経験できることも少ない。だから、先生がおっしゃるような第3段階とか、オトナの学びは自律的である・・・これらのことがにわかにはピンと来ないのです。
つまり、場を作って、あとは自発的に、というのは難しくって、手取り足取り、1から10までを段階的にフォローするってことが必要だし、都度都度どこまで到達してるかなーとチェックしてチューニングするってことも必要だったりします。
そう考えると、場があるから行きなさい、行くときっと何か気づくよ、っていう送り出し方、仕立て方ではなくって、そこに行って何を学べるのか、何を学びに行くのかというのは明確にしなくちゃならないんだと思います。


はて、それを自律的、と呼ぶのか?という疑問もありますが、気づきを得てそれを自分の中に還元できる人ってのはごくごく一部の優秀な人のように思うのです。多くの人は、そこまで自律・自立しようにもできない気がするのです。
そう、ラーニングイノベーション論をはじめ多くのところで語られる「越境学習」は、ぶっちゃけ、偏差値高い進学校の生徒さんだけを相手にしているような気がしてならないのです。ま、実際、そうなんだけどね。優秀なホワイトカラーの学び、なわけで。うわー、暴言!ごめんなさいっ


でも、これがあたしが最近感じている違和感なのです。


ニンゲンは生まれながらにしてLearnerである、根源的能動性があるのだ、と言い切るのだとしたら、自律的に学ぶことが困難な人に対して、どうしたら学べるのか、何を学ぶのかっていうのは永遠の問い、な気がします。
出来の悪い子は切り捨てるのか?という学校教育の問題と一緒ですね。
でも、ニンゲンは働いて生活していかんといけん。そのためには自分の能力はあげていかんといけん。そうするとやっぱり学習は必要なんだろうと思う。



あたしは少なくとも自分のカイシャ、自分のチームのメンバーとは一緒に学習して、一緒に能力あげて、一緒に働いて行きたいと思っている。それが、あたしのさらりーめんとしての役割だと思うし、越境学習しているあたしの恩返し、な気もしている。


そう、キーワードは「美しい労働者」。長い長い道だけど、がんばろ。


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越境学習者は隠れキリシタン。

2010-11-14 01:38:51 | オトナの学び
先週は「越境学習」に関するインタビュー受けて、今週は慶應大学の講義受けたり、大学院の授業を聴講したりとまさに「越境学習」して、越境学習者の集まりと言ってよい「日吉の会」にお邪魔して・・・ここんとこ、あたしのまわりは「越境学習」が溢れてる。


えっと、今、あたし結構落ちてます。


  なぜあたしは越境学習をするのか?そして、それはあたしに何をもたらしているのか?
 

これをぐるんぐるんと考えて、さ、がんばってみようかな?と思ったら、いろいろいろいろカラ回ってます。


この問いに対する答えを整理しないことには先に進めないような気がするので、まだ十分に練れてないけど、書き残しておくことにします。


イシヤマさんに「日本を代表する越境学習者」などと恐れ多いご紹介をいただいちゃいましたが、あたし自身はここでも何度も書いているように、楽しいから、好きな人に会いに行くって感覚で越境学習しておりました。
とは言え、4年前に大学の通教課程に行ったのは、明らかにカイシャから逃げて、カイシャ以外の場が欲しかったからだし、2年前に大学院に行ったのは、スクーリングとか、順番に課題を出して試験を受けて単位をもらうっていうプロセスとか…通教で学ぶってことが意外と楽しくって、せっかくだからこのまま何か続けようかなって思ったことがベースにはあるけど、じゃあなんでMBAコースだったのか?って言ったら、当時おつきあいしていた人がアメリカにMBA取りに行ったこと(待ってる間にあたしも!と思ったから。その後の話は・・・・まぁ、そういうことだ)、通教で奨学金もらえちゃったこと(大学院の授業にもついていけるんじゃん?)というのが理由。もちろん、キャリアに箔がつく、とも思っていた。


だから大学院での学びは苦行でした。最初の数カ月は特に。
それが「楽しい」に変わったのは(正確には”楽しいかも?”くらいのニュアンスですが)、長岡先生の授業から。
答えを出すのではなく、答えを出すプロセスこそが大事っていう学び方は衝撃的だった。学びには「場」が必要だっていうことも。
ワークプレイスラーニングとか、加藤先生@慶應とか、外の世界をいろいろご紹介いただいて、外に出るってことを知った。


ん?すでに、大学院に行ってる時点で、カイシャの「外」には出ているはずだけど、さらにもう一歩外に出たってことではエポックでした。


はじめは紛れもなく中原先生のおっかけからスタートしたし、最初の頃は外に出ても、壁の花になることもあったし、対話を楽しむなんてレベルでは到底なかった。いつの頃からかその場に身を処すことが楽しくなっていった。慣れたのかもしれない。はじめまして、の人と話をするってこと、違いを楽しむってことに。そして、話がはずまなくてもそれはそれで“気づき”なんだ、って思えるようになったってことかもしれないね。


手作りスイーツ差し入れたり、文集作ったり、(そういや大学院のときも、論文の発表会を有志で開いたりしたなー。まさに「ポスターセッションおかわり」だ)本流とは違うところで楽しめるようになってからはさらに加速。
修論のテーマを決めた頃から、キャリアに箔をつける、学んだことをカイシャで生かす、みたいな色気がなくなって、純粋に自分のために学び始めた。このきっかけは書くと長くなるので端折りますが、カイシャからの協力が得られない中で、組織の課題を解決する論文なんか書けるはずがない。最初はそのギャップに苦しんでたけど、上田先生の「プレイフルシンキング」を読んで憑き物が落ちた。自分がプレイフルでなくてどーしてカイシャの課題が解決できよう。ここからあたしの視座は完全に「個人」のものになっていきます。


そして、この頃から、絶対的に仕事でストレス感じなくなった。
正確にはストレスを感じないように、不干渉≒不感症になったんだと思う。この頃からあたしはカイシャで怒らなくなった。悔しくて泣く、みたいなこともなくなった。上司からは「やっとあいつもオトナになった」と評価されたし、怒らずに平穏でいた方が精神衛生上はいいのかもしれないけれど、でも、自分で気づいてました。暑苦しくない自分は「らしくない」ってことに。理不尽な思いをしている人のことは放っておけなかったんじゃないの?って。


あたしには、カイシャ以外にも居場所があって、そっちが結構大変だったり、おもしろかったりしたわけです。修論書いてたから物理的にも時間が欲しかったってのもあるけど、マインドシェア的には、外で学ぶ>>>>カイシャだった。
つまりね、
あたしにはカイシャ以外にも大事な場所があって、そこを守るためには、カイシャや仕事でストレス抱えてる暇はないんだよ、ってこと。カイシャでストレス溜めて、悩んで、その結果として、外学びの場に向かうキモチが萎えたり、外学びの時間が侵害されるのはたまんないなーってこと。だから、今までのあたしだったら怒ってたようなことも「見ないふり」してやり過ごしてきた。ホントはキモチ悪い。けど、そんなことしてる暇ないんだもん、って言い聞かせて。


カイシャと家庭(あたしはシングルなので、ここはあんまり意識したことないけど)以外の場があるから、ストレス溜めずにバランス取れてたっていうのはあるけど、ホントのところはそういうこと。
外で学んでるあたしってイケてるでしょ、あたしは仕事やカイシャの愚痴を言ってるだけの人じゃないんだよ、って思いが深層にあったことは否めない。間違いなくある。


もちろん、カイシャ以外で出会う人、聞く話からものすごーーーーく刺激も気づきももらうし、仕事のヒントもたくさんもらう。それは外に出ているからこそ。「外に出ているあたしがイケてるから」だけで外で学んでいるわけではない。ピュアじゃないよなー。


でも、そんなもんかも。
もちろん、外に出て学ぶこと、そのものにも意味はあるし、学んだ内容は紛れもなくなんらかの形・効果にはなっているはず。
でも、外で学んでいる=カイシャと家の往復だけじゃない、っていうライフスタイルがかっこいい、っていうのはある。あと、あたしはあなたたち(って誰のことを言ってるのかわかりませんが(^^ゞ)とは違うのよ、という優越感とか。


「日吉の会」のときに石山さんが、
「越境学習者は迫害される、勉強して辞めるつもりだろ、と思われたり、スキルがつくことを疎まれたりする。勉強に行くので帰りますっていうと白い目で見られるけど、婚活しに行ってきますって言うと温かい」と冗談めかしておっしゃっていたけど、確かにそれはあるなー。資格取って独立する気じゃろ?ってのは昔からあっただろうし、キャリアに生かさないでなんで勉強してるの?って逆説もあるだろうね。
あたしも最近はめんどーなので、休みを取ることにしてます、理由は特に言わない。休んでもだいじょうぶな日に、そして休んでもだいじょうぶなように仕事を調整して。ホントは、もっと大腕振って行って、行ってきたらそれを還元するってサイクルにしないといかんのだと思うけど。迫害されるのわかってるからめんどくさくて言わない。でも仕事には相当生かしてると思うけど(あくまで、自分基準で)。


でも、そんなことじゃいかんのだよねー。


あたし自身も「何のために越境しているのか?」って問いに答えられるようにしなくちゃならないし、自分自身が越境学習してよかった!って思っているならそのよさを普及しないといけんよね。でも、それって結構ハードル高くってくじけそうになる。そう、今落ちてるのはそこ。まだ自分の中で整理がついてないので、外化できないけど、越境学習すること=外に出ることが、その人個人だけでなくカイシャ組織のパフォーマンスを上げるってことをきちんと説明できないから、くじけるんだ。


越境学習することがその人個人の能力を高めてくれそうなのは感覚的にわかるけど、それはカイシャが求める能力向上なのか?ってのが結び付かないから自信ないんだよね。そして能力高めるって言うけど、きっと能力の高い人はどんな手段であっても高まっていくし、いろんなことに気づいて自分で可変していくようにも思う。


越境学習はなんでいいのか?っていうのを端的に語れるようにならないといかんね。がんばります。
でも、ホントのところは、時間をもてあましそうだから、ってのも結構大きいなぁ。あたしの場合は特にね。







コメント (2)
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