懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,146 広島県安芸太田町の民家

2014年07月19日 | 日本茅葺紀行
安芸太田町の小板地区には何軒か茅葺民家が残る。
三段峡の上でスキー場もあるほど冬は雪がふる。
他所から移り住んだり夏場だけ生活していたりでなんとか茅葺が維持されている。
中国地方でも熊の多いところだそうだ。
茅葺民家の人に聞くと熊が台所の炊飯器を開けて飯を食ったと話してくれた。
この家は集落の奥でもう家はないとおもったところにある一軒屋
お婆さんが一人で住んでいた。熊のでるところで怖くないのかと思う。
風呂の炊き物に使う松の丸太が置いているのに炊事はプロパンでするのかボンベがある。







懐かしい物 米寿の手形

2014年07月18日 | 懐かしい物
撮影場所 奈良県室生村

奈良県の室生村の山の中を茅葺民家を探しに走る。
茅葺民家の玄関先におまじないのように飾り物をしている家がある。
コイぶりの尻尾、家内安全を願ったしゃもじ、万年茸や猿の腰掛
と地域によって様々である。
奈良県でも都祁村は「しゃもじ」だった。

室生村の昔からの民家に行くと玄関に人の手形を貼ってあった。
キョンシ―の悪零を除くマジナイのようで不気味だった。
住人の人に聞くと米寿を迎えた人に手形を押してもらう。
長寿を願ってのしきたりだそうだ。
男は左手、女性は右手で手形を押す氏名と年齢ほを書いてある。
フィルムカメラの時代だったのでモノクロで一枚だけ撮った。
こんな風習が脈々と続いているのにさすが奈良県だと思った。

岡山の茅葺民家写真展 -28 小屋も茅  その3

2014年07月17日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町(現在は津山市)

母屋も小屋の茅も大分くたびれてきている。
茅葺きは手入れをしないと長持ちしない。
特に北側は陽が当たらないので茅が乾燥しない。
刺し茅をこまめにすれば延命もできるが痛みだしたら加速度的に痛む。
茅は屋根材としては耐久性が短い。維持費にコストも掛かる。
21世紀まで茅葺が残る事が驚異でもある。
日本瓦だけの風景さえ珍しくなった。
甍の波のと唄われて頃の光景も撮るのが難しくなった。

小屋は農業資材を入れるものか、大きな柿の木が二本、日本の農村風景である。
懐かしい風景だなあと思いながら撮影する。
私の撮影は平成の時代になっても昭和の懐かしさ追い求めている。





茅葺民家 島根半島の茅葺民家

2014年07月16日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県平田市 現在は出雲市

島根半島には茅葺民家も昔の日本の風景も残っていた。
都市化や近代化が何十年も遅れた地域がある。島根半島もそんなひとつであった。
そんなところを探すのが撮影旅の楽しみである。
ネットで情報が流れなかった時代にはそんな地域に出合わす事もあったが最近はしだいに少なくなった。
新しい発見にわくわくするような感動があったがそれもすくなくなった。

一畑薬師は島根半島のの山中にある。一畑電鉄の駅から徒歩だと一時間は掛かる。
そこを参拝しての帰りにこの茅葺民家があった。材木屋をやっていた。
石垣や庭木が面白く撮影した。反り棟でないのが残念だ。
島根半島には幾筋もの谷沿いの集落がある。
それを一本一本巡った。
一畑電鉄の名前は一畑薬師参拝の路線としてこの名がついた。
松江市から出雲市まで宍道湖の北岸を走る。
ローカル味豊かで映画にも登場する。




日本茅葺紀行 NO,145 秋田県仙北市の民家

2014年07月15日 | 日本茅葺紀行

秋田県仙北市と書いてもピンと来ない。田沢湖周辺の町村が合併してできたようだ。
角館や西木村などが合併したようだ。
角館や西木村の郊外に茅葺民家が残る。
寄棟造りや曲がり屋があった。この地域は寄棟でも棟木を乗せている。
私のほうでは棟木をカラスオドシと呼んでいるが東北では鞍(くら)と呼んでいる。
田沢湖は日本で一番深い湖だそうだ。432メートルの水深だが火山の噴出で陥没して海抜以下の深さになったそうだ。周囲は20キロメートルのため車だと一周するのに時間はかからない。湖の周りにも茅葺民家が何軒かあったが今はどうか
春には水芭蕉とカタクリの群生地がある。ツアーにも組み込まれているのでカメラマンが多い。水芭蕉は国道を走っていても群生地を目にする。




蒸気機関車 C6128

2014年07月14日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県延岡市

日豊線のC61形蒸気機関車、奥羽本線の電化により日豊線に移動してきた。
かって急行列車などを牽引していたが日豊線では貨物も引いていた。
この機関車も日豊線の電化で間もなく廃止の運命になっていた。
単機でヤードにいたところをヤードに入り撮影した。
標準レンズなのでヤードの中に入らないと大きくとれない。
昼間に蒸気機関車が停車している、のんびりとした時間だけが経過した。のんびりしている時間にいろいろと撮っておくべきだった。何が残り何が消えるのか時代の先読みができなかった。
宮崎の機関車は綺麗に掃除されて黒光りがしていた。水洗いして少し油をつけてウエスで拭くのであろう。
汚なかったのは北海道の機関車だった。

岡山の茅葺民家写真展 -27 小屋も茅  その2

2014年07月13日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県備中町西山

岡山県の茅葺を探しにひたすら山道や田舎道を走った。
走っても見つかる補償もない。
岡山県内の道をひたすら走るのが目的になっていた。
茅葺を探し求めて何になるのか何時も思っていた。
こんな事にガソリンと時間を使う事はあほらしい事だった。

しかし、若い頃にひたすら蒸気機関車を追いかけていた事が何十年も経過したら自分のかけがいのない思いでになっている。
死ぬまでに一杯思い出を作ろうと思い各地の茅葺を探して走ってきた。
一回の人生、生きた証を何か残して死にたいものだ。そんなもの残された者には迷惑な事かもしれない。自分は大切に残しているが他人が見ればゴミでしかない。今のデジカメのデーターなど他人には何の愛着も残さない。孤独死した人などゴミと共に人生の痕跡もなく終わる。
残してもらえるようにするにはアルバムなり本にした作品にしないと残らないと思う。

備中町西山は、新成羽ダムの湖畔から山に登った数百メートルの高台の集落である。
畑作中心の農村である。耕地も広くない厳しい環境の土地である。茅葺民家探しが無ければ決して立ち寄らない土地である。
今後こんな山間の地は大きく衰退していく事が予想される。
元気に農業を続けていた時代を撮影しておくのもアマチュア写真家の役割であろう。



茅葺民家 島根県吉田村の民家

2014年07月12日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県吉田村(現在は雲南市)

吉田村は中国山地に接している。吉田村の道はほとんど走ったが平野はすくない。
「走っても走っても青い山」と種田山頭火の句をもじってみたくなる。
しかし今は吉田村を高速道路が横断している。
もう15年も行っていない、以前と大きく変わったであろうか

そんななか山の斜面を切り開いて宅地にした民家があった。
付近に民家はない一軒屋である。
家に挨拶に行ったが留守だった。
可愛い子猫がすり寄ってきた。昼間は外に出されているのか人恋しいのか。
猫も寂しいのであろう。


日本茅葺紀行  NO,144 神戸の美瑛

2014年07月11日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県神戸市北区

あるブログを見ていたら「神戸の美瑛」のタイトルのブログとビデオのサイトがあった。
神戸の美瑛とはどこかと見ていたら淡河(おうご)の風景がでてきた。
緩やかな斜面が棚田になっている。神戸の六甲山の北側とはいえ茅葺民家も残り田園風景は撮影した人にとっては神戸の美瑛に思えたのであろう。
美瑛はいいすぎだがこの丘陵地に10軒以上の茅葺民家があったのは素晴らしい。

私も何度も訪れた。何回目かに撮影許可の挨拶に行ったら怒鳴られた。
勝手に来て畑や田に入り撮影するのに業を煮やし怒鳴られたのだ。
結局五分間怒鳴られて得心がいったのか撮影の許可をしてくれた。
それ以来、近くを通ってもこの地域に行くのはいやになった。
別の茅葺民家の方にえらい剣幕で怒鳴られまたと言ったらあの人に撮影しているのを見つかると怒鳴られるのですと言っていた。
誰でも勝手に家を撮られるのは面白くない。
我々は珍しいと茅葺民家を勝手に撮って公表しているが肖像権や著作権の観点から違反行為をしている事を心しないといけない。
まあ四角四面で規制したら面白くないどうでもいい情報しか流せないが。



懐かしい物 本瓦葺き屋根

2014年07月10日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県山手村

本瓦葺き民家は関西以西の瀬戸内海沿岸部に多い。岡山県でも南部を中心で高梁市までいくと見掛けない。京都なども本瓦葺きの民家はすくない。
粘土を焼き表面に松の煤を黒く焼き付けたいぶし銀、重量感があり日本の民家の風景であった。
今はまだ残っているがそのうちに姿を消すだろう。
その他の地域では寺院以外見られない。
保存地域では残していくであろうが次第に減少していくだろう。
瓦のため耐久性があるので茅葺民家のように一気に無くなる事はないが何十年かするとかなりすくなくなると思う。
しかし、普通の民家は惜しまれる事なく解体されるであろう。