みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

耳で書かれた本

2006-01-24 | work
今やっている仕事のひとつに、全盲の男性の手記を一冊にまとめる、というものがある。
著者のKさんは83歳。40歳の時に病気を告知され、だんだん見えなくなって70歳で視力を失った。

その手記は、すべて音声ソフトを使ってパソコンで書かれた。
つまり、ブラインドタッチで打ったものを耳で聞きながらの原稿執筆である。
Kさんは、その技術を失明後の70歳を超えてから初めて学び、習得している。
原稿用紙に換算して、330枚。
書きっぱなしの原稿をこっちで勝手にまとめるというのではなく、
こちらが校正したものをKさんがまたパソコンで全部聞き直し、
さらにKさんが加筆したものが送られてくるというやり方で進行した。
紙に赤ペンで書き込むという方法が取れないので、お互いにわかりやすい記号を決めて、
データ上でいちいち確認を取りながらの細かい作業だった。

だからものすごく時間がかかったし、パソコンに不具合が生じるとお手上げだった。
Kさんのお住まいが名古屋なのでさっと逢いにも行けず、
頻繁に電話をして連絡を取り合い、添付ファイルが開けない時はフロッピーを郵送した。
それがやっと大詰め。来月半ばに出版される。

この本の担当になってすぐ、目をつぶって音声ソフトを使ってみた。
慣れていないせいもあるけど、これがものすごく難解。体力もいる。
パソコンから聞こえてくる機械的な音声を頭の中で字に変換するのが容易ではないし、
耳で聞くと、書きたいこととは違っているような気がしてしまう。

それをやってのけるKさん。
さらに驚くことに、彼は本人の希望で一人暮らしをしている。

失礼な話だが、あんなにお年なのに、電話でのKさんはいつも快活だ。
私はKさんから比べればまだまだ若いのに、ぐずぐずと体調をくずしてばかりいる。
彼のあの強さはどこから来るのだろう。

私が息子の遠足の話をしたら、「リュックをしょっている姿が目に浮かぶようだ」と
言ったKさん。全盲である彼の「目に浮かぶ」という表現が、逆にものすごくリアルだった。
Kさんはいつもいつも、そんなふうにいろんなことを目に浮かばせながら生活しているのだろう。
「目が見えなくなってから頭が良くなったような気がするんですよ」なんて笑うKさんから
たくさんのことを教わった。私にとって、特別な仕事になった。