無事講演を終えた翌日、8日
毎月前橋でおこなっていた歴史ワーキンググループの勉強会を我が家で行いました。
まだ誰かに連れて行ってもらわないと、どこにも行けない身なので、
先月はお休みし、今月、来月も行くのは難しいなとおもい、
少人数なので、我が家でもなんとかなるかとおもい、提案してみました。
皆こころよく賛成してくださり、遠い道のりをやってきてくれました。
晴れて春らしくなった昼下がりの午後1時、皆があつまり、
食卓を机代わりにして、勉強会をはじめました。
前日の講演会の感想などを話して、
さて、自叙伝『六十五年記』の読解です。
明治27年から28年のことです。
堅曹さんが富岡製糸場を三井家に引き渡して、東京にもどり、
大日本農会や日本蚕糸会の会合であいさつした文章を読みました。
ちょうど日清戦争がはじまる時で、
蚕糸界でもどのように国に貢献していったらいいのか、という内容でした。
横浜の生糸検査所ができたのもこの頃で
堅曹さんにも勤めないかという誘いがきたそうで、
しかしもう浮き世から離れた身ですので、といって断っている。
富岡製糸場の仕事を終えてからは、謡曲や神仏研究など好きなことをしていました。
どこかで「30年で100年分の仕事をした」なんて言っていた人ですので
本当に悠々自適と暮らしていました。
自叙伝を読みおわって、次は堅曹さんの手紙を読み解きます。
昨年小諸で見せていただいた堅曹さん自筆の手紙を皆で解読しています。
これが難しいのです。
手紙は走り書きのように、サ~っと書くので、私などは全然読めないに等しい。
でも一緒にやっている夢酔い人KさんやNさんはすごいのです。
堅曹さんのくずし字のくせまで一覧表にしています。
ここまでして自分の手紙を読んでくれるなんて、堅曹さんも喜んでいるだろうな、とおもいました。
本当にありがたいです。
そうやって細かい検討を重ねて手紙の解読をして、勉強会はおわりました。
いろんな情報交換もおこない、充実した時間でした。
また、来月も我が家でおこないます。