20日は原三溪市民研究会で、原三溪の生まれ育った土地、岐阜を訪ねました。
朝6時50分に横浜集合で、バスで日帰りという強行軍です。
一路晴天のもと東名高速を走りぬけ、岐阜へ到着。
まずは三溪が岐阜へくるといつも訪れ、ゆっくりしていたという
老舗料亭「水琴亭」に行きました。
玄関には三溪の掛け軸が飾られていました。
おいしい懐石料理をいただきながら、郷土の大学の先生たちから、
三溪とふるさと岐阜についてお話を聞きました。
食後は三溪の書いた襖絵のある部屋「時雨の間」の見学。
ここは三溪園にある臨春閣を模してつくられた部屋です。
天井、欄間、二階へあがる階段、縁側すべて同じです。
驚いてしまいました。
床の間には、ここにも三溪の筆による掛け軸が。
庭をみても、全体に建物の雰囲気が、とても三溪園と似ています。
「三溪さんらしい」感じがしました。
そこを後にして、次は三溪がとても感化されたのではないかといわれている
母方の祖父、南画家の高橋杏村の碑を見にいきました。
この碑文は来年出版される『原三溪翁伝』に載っています。
これを校正作業している最中なので、
実物で文字を確認するという作業をしました。
一文字ずつ追って、原稿と照らし合わせ、写真をとり改行を確認する。
時間がないので、大急ぎで皆で手分けして、結構大変でした。
そのあと、私は一行と別れて、先生たちともう一つ『原三溪翁伝』に載っている
野村籐蔭の碑文の確認に行きました。
自分が担当した箇所なので、確認したい文字がいくつかあり、
気になっていたので同行させていただきました。
こちらも大きな碑で、保存状態もいいのですが文字がむずかしい。
初めて見る文字も多くて、私にはお手上げでした。
小一時間かかって確認は終わりました。
その後、三溪の生まれ育った柳津町に行きました。
家のすぐ前が小学校(現在は保育園)、
その隣は参道に石灯籠がずらっと並ぶ神楽殿のある大きな八幡神社。
そして家から数十メートルのところには土手があり境川が流れていました。
こういうところで育ったのだな、と空気をめいっぱい感じることが出来ました。
そして最後は県立図書館に寄りました。
帰りはバスを降りてしまったので、名古屋にでて新幹線で家路へ。
予定外の行動をとってしまいましたが、
もし岐阜にいくことがあったら見たいとおもっていたところを
全部見ることができて、とても満足です。