堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

『我が祖父 川島忠之助の生涯』

2008-11-14 16:46:46 | 本と雑誌

小春日和の昨日13日、前橋に歴史WGの勉強会に行ってきました。


毎回のとおり、堅曹さんの『六十五年記』を読みました。

昨年の4月より読み進めて、全22回のやっと半分の11回まできました。

明治18年(1885)と19年(1886)の事になります。


   同伸会社頭取を辞職して、再び富岡製糸場の所長になります。


    亡き父の35年回忌を川越で親族一同集まり行ないます。

   たぶんこのときに昨年発見した墓石をつくったとおもうのです。

   いくつもの歌を詠んで父を追善しています。


    年があけ例年より寒くて工女たちが感冒にかかっていると書かれています。

   この「例年より」の根拠が毎日の気温の温度の合計を割って平均値をだし、

   去年と比較しているのです。華氏で書かれています。細かいですね。


   当時の工女さん達の健康管理や状況を把握するのにしっかりデータを

   とっていたことがわかります。



さて、勉強会もおわり、帰りに県立図書館に寄りました。



今月末にフランスのリヨンにいく予定にしているので、

支店があった同伸会社のことや富岡製糸に関する本を探しにいったのです。


ふと目に留まった

  『我が祖父 川島忠之助の生涯』 川島瑞枝著 皓星社 2007.7発行

を手にとってみました。


       Photo_3 『我が祖父 川島忠之助の生涯』



 
著者がリヨンに行き、祖父の足跡をたどっている場面がありました。

これだ!と思い、借りてきて読んでみました。



幕末の嘉永年間に生まれ昭和まで生きた、一銀行家の生涯です。


横須賀でフランス語を学び、富岡製糸場でポールブリュナーの通訳をしていた人物です。


そして明治9年にはイタリアに蚕種を売りに行こうという5人の日本人の

通訳兼ガイドとして世界一周の旅に出ています。

その一人が二本松製糸で堅曹さんと関係した梅原親固。


そして船で太平洋をわたり、サンフランシスコでパレスホテルに泊まり、

フィラデルフィア万国博覧会に行き、製糸企業家チニーのところを訪ねている。

堅曹さんがフィラデルフィアに行ったのと同時期に同じルートで海を渡っていて、

驚きながら、どんどん読み進んでしまった。


その後彼等はヨーロッパまで行き、イタリアで蚕種を売りさばこうとするが、

なかなかうまくいかない。

でもまあまあの結果をもって、ものすごく膨大な経験と知識を得て帰国するのです。

島村の蚕種のイタリア輸出は知られていますが、

当時同じことをしていた日本人はおおかったのだなあ、と知りました。




その後川島忠之助は正金銀行にはいり、リヨン支店長として

13年間フランスに暮らします。

その時の支店の場所を尋ねて著者がリヨンを訪問しています。

リヨンの街は100年たった今も地名を変えず住所がわかれば、たずねられるという。

現在の町のようすも書いてあります。


帰国後は、正金銀行の東京支店長をしたり、インドのムンバイ支店長も歴任しています。


ジュール・ヴェルヌ著の『八十日間世界一周』の翻訳をしたことでも

後年名を知られています。




孫が先祖の生涯を書き、足跡をたどるというとても気になる本であると同時に、

内容があまりに堅曹さんの仕事とかかわるところがおおく、

一気に読んでしまいました。


著者は長い波乱に富んだ祖父の人生で、すごく惹かれた部分を楽しそうに書いています。


もっと川島忠之助のきっちりした履歴も知りたいというおもいも残りましたが、

人物伝として、とても気持ちよく読むことが出来ました。