ルイーズ・アルシャンボー監督・脚本の2019年作品『やすらぎの森』を、「あつぎのえいがかんkiki」で観ました。フランス語で語られたカナダ映画です。
パンフレットのSTORYに加筆修正させていただくと、
「カナダ・ケベック州の広大な森林地帯。
その人里離れた湖のほとりの小屋で、3人の年老いた男性が愛犬たちとひっそりと質素な暮らしを営んでいた。
自由な生活を望み、家族と離れたチャーリー、元さすらいのミュージシャン、トム、そして最高齢の画家テッドである。
それぞれこころに傷を抱え世捨て人になった彼らは、社会のルールやしがらみに縛られず、自由気ままに人生の晩年を送っていた。
そんなある日、具合の悪そうなテッドの様子を確かめにやってきたチャーリーは、小屋の中で息を引き取っていた彼を発見する。
その頃、弟の葬儀へ参列を終えた80歳のジェルトルードは、送迎役の甥っ子スティーヴを困惑させていた。
16歳の時に厳格な父親によって精神科療養所に入れられて以来、60年以上ずっと施設内に閉じ込められてきた彼女が「戻りたくない」と言い出したのだ。
森のホテルで雇われ支配人をしているスティーヴは、ケベックの豊かな自然を懐かしむジェルトルードの切なる心情を察し、施設に到着するやいなや車を引き返し、自身が働くホテルへと案内する。
チャーリーらのまえに見知らぬ来訪者が現れた。その若い女性写真家ラファエルは、地元の美術館からの依頼を受け、かつてこの地域一帯に甚大な被害をもたらした大火事の生存者への取材を行なっていた。
家族全員をその大火災で亡くした“伝説の生存者”テッドの消息をたどっていたラファエルは、彼がすでにこの世を去ったことを知って落胆するが、テッドの小屋を撮影したいと申し出る。
チャーリーは自分の話すらしなかった彼を敬い、「ほっといてやれ」と言い放つ。
スティーヴはジェルトルードを、いつも食料や日用品を届けている顔なじみのチャーリーとトムのもとへ連れて行くことにする。
スティーヴから事情を聞いたトムは警察沙汰になるのを恐れるが、チャーリーは他界したテッドの小屋を修理してジェルトルードを住まわせることを提案する。
「新しい人生だ、新しい名前にしよう」。甥っ子にそう促されたジェルトルードは、しばし考えたのち「マリー・デネージュと呼んで」と答えるのだった。
おそるおそる森での新たな生活をスタートさせたマリー・デネージュは、ジェルトルードと名乗っていた以前とは見違えるほど、日増しにきらめきを取り戻していった。その陰にはチャーリーの支えがあった。不安で眠れない夜の話し相手となり、湖で泳ぎ方を教えてくれたチャーリーの無償の優しさを受け入れたマリー・デネージュは、80歳にして初めての愛撫、初めての優しいキスを体験し、真実の愛の喜びを知る。
ラファエルはふたたび森を訪れ、テッドがアトリエ代わりに使っていた小屋で驚くべき発見に出くわした。
そこにはテッドが自身の壮絶な被災体験を投影した絵画が所狭しと並んでおり、若き日の彼が愛したと思われる女性の肖像画もあった。それらの鬼気迫る筆致の絵画には、長年の親友だったチャーリーとトムさえも触れたことのないテッドの深い苦悩と孤独感がありありと滲んでいた。
やがて、密やかな温もりに満ちあふれた森の共同生活を揺るがす事態が勃発した。
北部で発生した山火事が間近に迫り、州警察と森林警備隊があわただしく避難を呼びかけ始めたのだ。
肺を病んで自らの身体の限界を悟ったトムは、愛犬とともに青酸カリを飲んで、死を選ぶ。
そしてともに未来へ歩みだそうと誓い合ったマリー・デネージュとチャーリーが静かに湖を眺めているシーンで映画は終わる。」
マリー・デネージュを演じたアンドレ・ラシャペルさんは、「カナダのドヌーヴ」とも呼ばれた女優さんとのことで、遺作となった本編で、全裸で見事なセックスシーンを演じられていることに尊敬の念を強くしました。美しく静かな画面とともに、厳しくも優しい、なんとも言えない良い映画だったと思います。
ちなみに監督のルイーズ・アルシャンボーさんは女性の監督で、長編第一作ではトロント国際映画祭で最優秀カナダ長編映画賞、長編第二作目ではかのロカルノ国際映画祭で観客賞を受賞、カナダ・アカデミー賞で作品賞と主演女優賞を受賞、アメリカのアカデミー賞でも外国語映画賞でカナダ代表に選ばれるなどの実績のある監督さんで、その後は人気テレビシリーズを手掛けるなど、映画に限らず多方面で活躍されているとのことでした。
パンフレットのSTORYに加筆修正させていただくと、
「カナダ・ケベック州の広大な森林地帯。
その人里離れた湖のほとりの小屋で、3人の年老いた男性が愛犬たちとひっそりと質素な暮らしを営んでいた。
自由な生活を望み、家族と離れたチャーリー、元さすらいのミュージシャン、トム、そして最高齢の画家テッドである。
それぞれこころに傷を抱え世捨て人になった彼らは、社会のルールやしがらみに縛られず、自由気ままに人生の晩年を送っていた。
そんなある日、具合の悪そうなテッドの様子を確かめにやってきたチャーリーは、小屋の中で息を引き取っていた彼を発見する。
その頃、弟の葬儀へ参列を終えた80歳のジェルトルードは、送迎役の甥っ子スティーヴを困惑させていた。
16歳の時に厳格な父親によって精神科療養所に入れられて以来、60年以上ずっと施設内に閉じ込められてきた彼女が「戻りたくない」と言い出したのだ。
森のホテルで雇われ支配人をしているスティーヴは、ケベックの豊かな自然を懐かしむジェルトルードの切なる心情を察し、施設に到着するやいなや車を引き返し、自身が働くホテルへと案内する。
チャーリーらのまえに見知らぬ来訪者が現れた。その若い女性写真家ラファエルは、地元の美術館からの依頼を受け、かつてこの地域一帯に甚大な被害をもたらした大火事の生存者への取材を行なっていた。
家族全員をその大火災で亡くした“伝説の生存者”テッドの消息をたどっていたラファエルは、彼がすでにこの世を去ったことを知って落胆するが、テッドの小屋を撮影したいと申し出る。
チャーリーは自分の話すらしなかった彼を敬い、「ほっといてやれ」と言い放つ。
スティーヴはジェルトルードを、いつも食料や日用品を届けている顔なじみのチャーリーとトムのもとへ連れて行くことにする。
スティーヴから事情を聞いたトムは警察沙汰になるのを恐れるが、チャーリーは他界したテッドの小屋を修理してジェルトルードを住まわせることを提案する。
「新しい人生だ、新しい名前にしよう」。甥っ子にそう促されたジェルトルードは、しばし考えたのち「マリー・デネージュと呼んで」と答えるのだった。
おそるおそる森での新たな生活をスタートさせたマリー・デネージュは、ジェルトルードと名乗っていた以前とは見違えるほど、日増しにきらめきを取り戻していった。その陰にはチャーリーの支えがあった。不安で眠れない夜の話し相手となり、湖で泳ぎ方を教えてくれたチャーリーの無償の優しさを受け入れたマリー・デネージュは、80歳にして初めての愛撫、初めての優しいキスを体験し、真実の愛の喜びを知る。
ラファエルはふたたび森を訪れ、テッドがアトリエ代わりに使っていた小屋で驚くべき発見に出くわした。
そこにはテッドが自身の壮絶な被災体験を投影した絵画が所狭しと並んでおり、若き日の彼が愛したと思われる女性の肖像画もあった。それらの鬼気迫る筆致の絵画には、長年の親友だったチャーリーとトムさえも触れたことのないテッドの深い苦悩と孤独感がありありと滲んでいた。
やがて、密やかな温もりに満ちあふれた森の共同生活を揺るがす事態が勃発した。
北部で発生した山火事が間近に迫り、州警察と森林警備隊があわただしく避難を呼びかけ始めたのだ。
肺を病んで自らの身体の限界を悟ったトムは、愛犬とともに青酸カリを飲んで、死を選ぶ。
そしてともに未来へ歩みだそうと誓い合ったマリー・デネージュとチャーリーが静かに湖を眺めているシーンで映画は終わる。」
マリー・デネージュを演じたアンドレ・ラシャペルさんは、「カナダのドヌーヴ」とも呼ばれた女優さんとのことで、遺作となった本編で、全裸で見事なセックスシーンを演じられていることに尊敬の念を強くしました。美しく静かな画面とともに、厳しくも優しい、なんとも言えない良い映画だったと思います。
ちなみに監督のルイーズ・アルシャンボーさんは女性の監督で、長編第一作ではトロント国際映画祭で最優秀カナダ長編映画賞、長編第二作目ではかのロカルノ国際映画祭で観客賞を受賞、カナダ・アカデミー賞で作品賞と主演女優賞を受賞、アメリカのアカデミー賞でも外国語映画賞でカナダ代表に選ばれるなどの実績のある監督さんで、その後は人気テレビシリーズを手掛けるなど、映画に限らず多方面で活躍されているとのことでした。