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佐古忠彦監督『生きろ 島田叡(あきら)━戦中最後の沖縄県知事』

2021-07-06 02:17:00 | ノンジャンル
 今日は若き日のビル・エヴァンスとニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで、『ワルツ・フォー・デビー』などの名盤を作り出したベーシスト、スコット・ラファロの60回目の命日に当たります。ビルとスコットが出現するまでのジャズ・トリオというのは、常にピアノ中心で、ベースとドラムスはその伴奏に徹する形を取っていたのですが、ビルとスコットはお互いに対等に演奏し合い、ジャズに史上初めて“民主主義”を導入することに成功した輝かしいコンビでした。スコットは6月25日にビルとヴィレッジ・ヴァンガードで演奏をライブ録音した後、12日後の7月6日に交通事故で亡くなってしまったのですが、今日は改めて彼の冥福を祈るとともに、ビルとともに素晴らしい演奏を残してくれた彼に感謝の意を表明したいと思います。

 さて、佐古忠彦監督の2021年作品『生きろ 島田叡(あきら)━戦中最後の沖縄県知事』を、神奈川県厚木市にある映画館「kiki」で観ました。

 パンフレットの最初に書いてある文章を転載させていただくと、

「アジア太平洋戦争末期。すでに日本軍の敗色濃厚だった1935年1月31日、一人の男が沖縄の地を踏んだ。戦中最後の沖縄県知事・島田叡(あきら)である。
 前年の10月10日、米軍の大空襲によって那覇は壊滅的な打撃を受け、行政は麻痺状態に陥っていた。そんな中、内務省は新たな沖縄県知事として大阪府の内政部長、島田叡に白羽の矢を立てた。辞令を受けた島田は、家族を大阪に残し、ひとり那覇の飛行場に降り立ったのである。

「軍は県民も玉砕などと言っているが、私は何としても県民を守らねばならない」

 知事着任と同時に、島田は大規模な疎開促進、食料不足解消のため、大量のコメを確保するなど、さまざまな施策を断行。米軍が沖縄本島に上陸した後は、壕(自然洞窟)を移動しながら行政を続けた。だが、戦況の悪化に伴い、大勢の県民が戦闘に巻き込まれ、日々命を落としていく。
 また、島田自身も理不尽極まりない軍部からの要求と、行政官としての住民第一主義という信念の板挟みになって苦渋の選択を迫られる━。
 戦時下の教育により、捕虜になるよりも自決や玉砕こそが美徳とされた時代、島田はそれに反し、周りの人々に何としても「生きろ」と言い続けていた。
 その考え方はどのように育まれてきたのか?」

 戦時下で当時の記録もほとんど焼失しまっている中、佐古監督は島田にゆかりのある23人のもとを訪れ、彼らの記憶に強烈に残っている島田についての事実が明らかにしていく。
 島田は県民を守れなかった責任を取り、沖縄本島のジャングルの中で拳銃自殺をしたと一時的に報道されたが、遺骨も証拠品もいまだに見つかっていない。
 今現在、島田のように「住民第一主義」を行っている官僚は、一体何人いるのだろうか? 今回のコロナ騒動を見ていても、そのあまりの無策さに、我々は官僚の力量に無力さを感じるばかりである。今の官僚にこそ、ぜひ観てほしい映画である。
 ちなみに神奈川県厚木市にある映画館「kiki」では、今日から7月9日までは午前11時50分から午後1時55分まで、7月10日から7月16日までは、午後5時25分から午後7時30分までに上映されています。近くにお住まいの方、是非ご覧になってください。