柴田元幸さん訳の2020年刊行『旅に倦むことなし アンディ・アーヴァインうたの世界』を読みました。アーヴァインが歌ってきた詩と、その詩に関する彼の説明からなっている詩集です。ちなみに、アンディ・アーヴァインは、アイルランド音楽界の吟遊詩人と呼ばれるフォークソングの巨匠で、知る人ぞ知る有名な方のようです。(ちなみに「倦む」とは「同じことが長く続いていやになる。退屈する。あきてつかれる」の意(「角川必携国語辞典」(大野晋&田中章夫編)によると)で、平安時代から使われている古い言葉であるようです。
最初に紹介するのは本の題名にもなっている詩『旅に倦むことなし』です。
「この曲は何よりもウディ・ガスリーを偲んで書いた。ウディのアルバムを初めて聴いたのは1957年のことで、「コロンバス・ストッケード」の最初の一小節を聴いただけで魅了された。この人がアメリカでどれくらい有名かも全然知らないまま、「ウディ・ガスリー、USA」に宛てて手紙を出してみた。かたずを呑んで6週間待った末に、「宛先不十分」で戻ってきた。1,2年してウディがニュージャージーの病院に不治の難病で入院していると知り、そこに宛てて手紙を書きはじめた。ウディが返事を書くのは肉体的に不可能だったが、当時週末に彼を家に連れて帰っていたボブとセシルのグリーソン夫妻が様子を知らせてくれて、私の質問に対するウディの答えも伝えてくれた。(中略)
いまもどこかに「ウディは以下の人たちに感謝する」で始まる『ウディ・ガスリー・ニューズレター』を持っている「以下の人たち」として並んでいるのは、ピート・シガーをはじめ当時のアメリカン・フォークの英雄たちだ。ページの大半が彼らの名前で埋まっていて、初めて読んだとき、ひょっとしたら僕の名前も……と、無理と知りつつ期待した気がする。でももちろん、ない……だけど、え? 一番下にこうあった━━「そして、ウディからじきじきに、アンディに」(And to Andy from Woody personally)。以来ずっと、私は旅に倦(う)んでいない。」
そして、実際の詩『旅に倦むことなし』は次のような詩です。
「しけた田舎の子供だった僕
あの埃っぽい町を出て
ルート66を西へ向かい
貨物列車を飛び降りて
来たぜ カリフォルニア
サイドドア・プルマンと 日焼けした親指と
僕らはオーキー ルンペン 浮浪者と呼ばれ
警察にも嫌な顔をされた
旅に倦むことなし
回る車輪に倦むことなし
この世の習いに倦むことなし
彼方の地が僕を呼んでる
暗い道が僕を導く
街道こそ僕の掟
頭の中で聞こえる寂しい声が言った
旅に倦むことなし
カリフォルニアから ニューヨーク島まで
僕と愛用のギター
あちこちのホーボー・ジャングル
あちこちのドヤ街の酒場で歌った
風と雨にさらされて立てば
あのさみしい汽笛こそ 快いリフレイン
空っぽの車両を運ぶ
貨物列車を待つ耳には
リバティ船に乗って
青海原へ船出して
僕らは銃を 爆薬を
Dデイの兵士を運んでいた
乗っていたみんなが
シスコ・ジミー・ロンギ、僕に賛成した
僕らの歌が海に響いた
お前らファシストきっと負ける
お前たちファシストきっと負ける
そう お前たちファシストきっと負ける
そうとも お前たちファシストきっと負ける
お前たちきっと負ける お前たちファシストきっと負ける
奴らにだまされちゃいけない
不意を打たれるな
政治家のひどい臭い
目に欲が一杯の男
一致団結が僕らの目標
IWWこそ君の味方
抗議の炎を僕らはあおる
決して死なない大義のために
旅に倦むことなし
回る車輪に倦むことなし
この世の習いに倦むことなし
彼方の地が僕を呼んでる
暗い道が僕を導く
街道こそ僕の掟
頭の中で聞こえる寂しい声が言った
旅に倦むことなし」
以上が『旅に倦むことなし』と題された詩でした。
そして『クレアの西の岸辺』と題された詩は以下のようなものです。
「哀しさと侘しさに 恨み 嘆く
君への思い出が僕を放してくれない
心はクレアの西の岸辺に駆け戻り
君を想い 二人で過ごした時を想う
スパニッシュ・ポイントに歩いていった きっと君が見つかるはず
白い浜に立つと 君はいたるところにいた
生々しい記憶は薄れても 気持ちはまだ残っている
あそこへ戻って 君と一緒にいられたら
ミルタウンにパブがある そこへ行くと
君が店じゅうにいる どこを向いても君の顔
過ぎた時を探せば 甘い痛みがついて回る
さみしい思いを追いやっても また戻ってくる
浜辺を歩く 雨を顔に浴びながら
心は悲しみに固まり 君の面影はどこにもなく
遠い地をさまよいながら また君のことを想うだろう
この冷たい 大西洋の波ぎわを君と歩く
哀しさと侘しさに 恨み 嘆く
君の思い出が僕を放してくれない
心はクレアの西の岸辺に駆け戻り
君を想い 二人で過ごした時を想う」
(明日へ続きます……)
最初に紹介するのは本の題名にもなっている詩『旅に倦むことなし』です。
「この曲は何よりもウディ・ガスリーを偲んで書いた。ウディのアルバムを初めて聴いたのは1957年のことで、「コロンバス・ストッケード」の最初の一小節を聴いただけで魅了された。この人がアメリカでどれくらい有名かも全然知らないまま、「ウディ・ガスリー、USA」に宛てて手紙を出してみた。かたずを呑んで6週間待った末に、「宛先不十分」で戻ってきた。1,2年してウディがニュージャージーの病院に不治の難病で入院していると知り、そこに宛てて手紙を書きはじめた。ウディが返事を書くのは肉体的に不可能だったが、当時週末に彼を家に連れて帰っていたボブとセシルのグリーソン夫妻が様子を知らせてくれて、私の質問に対するウディの答えも伝えてくれた。(中略)
いまもどこかに「ウディは以下の人たちに感謝する」で始まる『ウディ・ガスリー・ニューズレター』を持っている「以下の人たち」として並んでいるのは、ピート・シガーをはじめ当時のアメリカン・フォークの英雄たちだ。ページの大半が彼らの名前で埋まっていて、初めて読んだとき、ひょっとしたら僕の名前も……と、無理と知りつつ期待した気がする。でももちろん、ない……だけど、え? 一番下にこうあった━━「そして、ウディからじきじきに、アンディに」(And to Andy from Woody personally)。以来ずっと、私は旅に倦(う)んでいない。」
そして、実際の詩『旅に倦むことなし』は次のような詩です。
「しけた田舎の子供だった僕
あの埃っぽい町を出て
ルート66を西へ向かい
貨物列車を飛び降りて
来たぜ カリフォルニア
サイドドア・プルマンと 日焼けした親指と
僕らはオーキー ルンペン 浮浪者と呼ばれ
警察にも嫌な顔をされた
旅に倦むことなし
回る車輪に倦むことなし
この世の習いに倦むことなし
彼方の地が僕を呼んでる
暗い道が僕を導く
街道こそ僕の掟
頭の中で聞こえる寂しい声が言った
旅に倦むことなし
カリフォルニアから ニューヨーク島まで
僕と愛用のギター
あちこちのホーボー・ジャングル
あちこちのドヤ街の酒場で歌った
風と雨にさらされて立てば
あのさみしい汽笛こそ 快いリフレイン
空っぽの車両を運ぶ
貨物列車を待つ耳には
リバティ船に乗って
青海原へ船出して
僕らは銃を 爆薬を
Dデイの兵士を運んでいた
乗っていたみんなが
シスコ・ジミー・ロンギ、僕に賛成した
僕らの歌が海に響いた
お前らファシストきっと負ける
お前たちファシストきっと負ける
そう お前たちファシストきっと負ける
そうとも お前たちファシストきっと負ける
お前たちきっと負ける お前たちファシストきっと負ける
奴らにだまされちゃいけない
不意を打たれるな
政治家のひどい臭い
目に欲が一杯の男
一致団結が僕らの目標
IWWこそ君の味方
抗議の炎を僕らはあおる
決して死なない大義のために
旅に倦むことなし
回る車輪に倦むことなし
この世の習いに倦むことなし
彼方の地が僕を呼んでる
暗い道が僕を導く
街道こそ僕の掟
頭の中で聞こえる寂しい声が言った
旅に倦むことなし」
以上が『旅に倦むことなし』と題された詩でした。
そして『クレアの西の岸辺』と題された詩は以下のようなものです。
「哀しさと侘しさに 恨み 嘆く
君への思い出が僕を放してくれない
心はクレアの西の岸辺に駆け戻り
君を想い 二人で過ごした時を想う
スパニッシュ・ポイントに歩いていった きっと君が見つかるはず
白い浜に立つと 君はいたるところにいた
生々しい記憶は薄れても 気持ちはまだ残っている
あそこへ戻って 君と一緒にいられたら
ミルタウンにパブがある そこへ行くと
君が店じゅうにいる どこを向いても君の顔
過ぎた時を探せば 甘い痛みがついて回る
さみしい思いを追いやっても また戻ってくる
浜辺を歩く 雨を顔に浴びながら
心は悲しみに固まり 君の面影はどこにもなく
遠い地をさまよいながら また君のことを想うだろう
この冷たい 大西洋の波ぎわを君と歩く
哀しさと侘しさに 恨み 嘆く
君の思い出が僕を放してくれない
心はクレアの西の岸辺に駆け戻り
君を想い 二人で過ごした時を想う」
(明日へ続きます……)