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田中眞澄『「あいつはあれでいいんだ、儲かるシャシンは俺が作る」小津安二郎と清水宏の蒲田時代』その4

2019-03-19 05:23:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 1930年前後の“昭和モダン”の傾向は、単に映画に限定されない文化・世相史の問題だが、特に映画、とりわけ松竹蒲田映画に一つの典型を認めることができる。その背景、意義については、かつて「映画読本 清水宏」(フィルムアート社、2000年)でコンパクトにまとめた旧稿を、ひとまず転記(誤植を訂正しつつ)してみたい。
 1923(昭和12)年9月1日に突発した関東大震災は、首都東京に、過去との断絶の意識をもたらした。その意識は増殖しつつあった新東京生活者大衆に、継起する現在性の受容を促進した。主としてそれは、第一次世界大戦の結果、世界文明の先頭に立ったアメリカ文化の流入を意味していた。「東京」は1920年代という世界史的同時・同質性志向の時代思潮に同調したかに見える。その傾向は20年代末の東京に“昭和モダン”の風俗を流行させた。そのモダン風俗は主にハリウッド映画によって供給された。
 時あたかも1920年に発足した松竹蒲田撮影所は、既存の日活に拮抗する勢力になったが、震災後、京都に定着した日活現代劇に対し、短期間で京都を引き揚げ、1930年代半ばまで続いた無声映画時代に、東京で唯一の(20年代後期に河合~大都という小会社が出来たが)撮影所として存在した。そこで蒲田映画はモダン風俗を日常として生活し、そのエッセンスを体現するものとなったのである(その点、京都からモダン東京を望見した日活現代劇は観念的になり易く、そこにもう一つのモダニズム=マルクス主義を呼び込んで、傾向映画の流行を招来する)。
 蒲田映画に於てアメリカニズムが顕著に際立つのは、スポーツマン・ヒーロー鈴木伝明を主演者とした牛原虚彦作品、北村小松シナリオの場合。1928━129年の「彼と~」3部作がその典型。北村はさらに若手監督たち、清水宏や小津安二郎と組んで、彼らの才能を触発する。例えば『恋愛第一課』(清水)、『お嬢さん』(小津)。そこに展開されたのはソフィスティケーション-・コメディという形でのアメリカ映画の影響であった。1929━1931年をピークとし、“エログロ・ナンセンス”とも称された時代劇のナンセンス面を代表したとできよう。そこに「蒲田モダニズム」という用語を創出する意味が生ずる。清水・小津、それにスラプスティック・コメディの名人斎藤寅次郎が特に横浜ロケを好んだことは象徴的である。
 当時の松竹蒲田の監督たちがソフィスティケーションの範としたのは、1924年に日本公開された『結婚哲学』(ルビッチ)と『巴里(パリ)の女性』(チャップリン)。小津がルビッチから間接的暗示の手法を学んだのは確かであろうし、清水はおそらく『巴里の女性』の冒頭によってディゾルヴの効果に開眼したはずである。そのような技法のモダニズムは、その後も永く彼らの映画手法の中に生き続けた。

 “昭和モダン”がピークに達した年、1930年は清水宏の『恋愛第一課』で幕を開けた“蒲田モダニズム”の年でもあった。だが、その一年をリードしたのは紛れもなく小津安二郎だった。前の年、『和製喧嘩友達』を《蒲田は今こそ小津安二郎の出現に万歳を叫んでいい。この好ましき小品。果してよくどこのだれが物し得るか》(杉山静夫)と讃えられた彼は、この年に入って『結婚額入門』、『朗らかに歩め』、『落第はしたけれど』、『その夜の妻』、『エロ神の怨霊』、『足に触った幸運』と一作毎に(『エロ神の怨霊』は除いても)声価を高め、年末の『お嬢さん』まで“蒲田モダニズム”を独走する。〈彼は五所平之介にもつと緻密さを持つてゐる、彼は牛原虚彦にもつとスマートさを増してゐる〉(小林勇吉『朗らかに歩め』評)。
 しかし、この時期の日本の現実は慢性的な不況に喘ぎ、農村の窮乏化とともに都市では失業が深刻な社会問題になっていた。小津は1929年に『会社員生活』、1930年の『足を触った幸運』、1931年の『東京の合唱(コーラス)』、1932年の『生まれてはみたけれど』と、モダン東京の影の部分、“失業都市東京”の真実に肉薄するのだが、そこに踏み込む過渡的作品となった1929年の『大学は出たけれど』は、実は清水宏が撮るはずだった作品であった。しかし、清水が撮ったならばこのストーリィは学生ものナンセンスの延長にとどまり、小津のように社会への凝視に深められなかったかもしれず、その場合、この題名は今に伝わる流行語になり得たであろうか。
 撮影所内で、このような小津の充実を実感的に評価し、敏感に反応したのは、無名の大部屋俳優たちであった。1931年に蒲田に入社し、しばらく〈大部屋にくすぶっていた〉清水将夫の回想(「放談・清水将夫」「悲劇喜劇」1974年11月号)。(また明日へ続きます……)