一昨日の朝日新聞の夕刊に、ダニエル・ダリューさんの訃報が載っていました。私にとっての彼女はマックス・オフュルス監督の『輪舞』と『快楽』と『たそがれの女心』、そして何よりもジャック・ドゥミ監督の『ロシュフォールの恋人たち』でのカフェの女主人役として美しい記憶として残っています。享年100歳!とのこと。たとえ亡くなっても私たちは永遠に彼女のことを忘れません。
さて、また昨日の続きです。
およそ二時間の上映が終わったとき、何人かが拍手をしたが、ほかに続く者が現われず、すぐにやんだ。場内が明るくなり、町民たちが見せたのは戸惑いの表情だった。これまで観たことのない、変わった映画だった。「おれは、これが苫沢町と思われたらたまらん。そうは思わねえか」口火を切ったのは瀬川だった。町民は次々に同調した。褒めるのはよそから来た者ばかりで、地元の人は皆否定的だった。しかしプロデューサーは「傑作ができた」と言う。瀬川が反論すると、「瀬川君、いい加減にしろよ」。とうとう藤原が声を荒らげた。「やめろ。お仕舞。みんなもう帰れ」年寄りが間に入った。この件はしばらく遺恨になりそうである。もっともすぐに収まる。狭い世間だから、顔を合わさずにはいられない。となれば、誰かが間に入り、表面上は仲直りするのだ。この町はそうしてずっとやってきた。
五月に入り、映画「赤い雪」に関して新しいニュースがもたらされた。世界的にも有名な映画祭でグランプリを受賞したのである。作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞と総なめの快挙だった。「おれさあ、理容学校出たら、撮影のときにお世話になったヘアメイクの人に弟子入りしようかなんて思ってるんだけど」と和昌が札幌から電話をしてきた。「はあ? 向こうはどう言ってるんだ」「これから手紙を書く」康彦はしばし絶句した。「好きにしろ」そう答えて電話を切る。若いのだから好きにすればいい。理容師の資格があれば、食いはぐれることもないだろう。このニュースを一番喜んでいるのは藤原だろう。これで彼も救われる。
ゲンキンなもので、映画を評価し直す声が町民の間から聞こえ始めた。ある日藤原は言った。「あ、そうだ。ビッグニュースがある。映画はグランプリを受賞したから、あらためて苫沢町に感謝したいって、プロデューサーと監督と大原涼子さんが公開前に来ることになったべさ」「藤原君のお手柄だ」「ありがとう、祝賀会、やっちゃんにはいい席を用意しておくからね。でもって瀬川君と谷口君は入れね」「もう許してあげなよ。きっと反省してるさ」「いいや、してね」藤原はむきになって言う。康彦はおかしくて、笑いをこらえるのに苦労した。苫沢は、そろそろ桜の季節だ。それを大原涼子に見てもらえると思ったら、自然と心が温かくなった。
「逃亡者」
苫沢町出身の若者が東京で事件を起こした。その若者は、広岡の長男・秀平で、中学で生徒会長を務めるほどの優秀で活発な子供だった。ここ数日、世間を騒がせていた詐欺グループの主犯格が全国指名手配され、名前と共に顔写真が公開されたのである。恭子は信じられない様子だった。康彦もそれは同じである。ああ、そう言えば------、康彦は思い当たった。ここ数年、散髪に来たとき、広岡は息子の話をまったくしなくなった。康彦から訊ねると、「会社を興したらしいが、何やってんだか」と会話を避けているように見えた。ニュースによると、秀平をリーダーとする詐欺グループは、高齢者を狙って墓地開発の投資を募り、実際は金だけ集めて、会社ごと消えてしまったらしい。被害者の一人が自殺したことから、頻繁にニュースで取り上げられるようになった。そして警察がグループの潜伏先を突き止め、踏み込んだところ、秀平はマンション二階のベランダから飛び降り、そのまま逃走したとのことだった。広岡は真面目な性格で、穏やかで、誰からも好かれていた。小さな町で、我が子がテレビのニュースになるような犯罪に手を染めた。そして逃亡中である。なんという悲しい出来事か。自分なら間違いなく寝込むだろう。そうこうしているうちに家の電話が鳴り、恭子が出ると札幌に住む息子の和昌からだった。「あんたもニュース見た? お母さんたち、もうびっくりして……」「おい、おれにも代われ」康彦は途中で受話器を取り上げた。「オメ、なんか知ってたべか」「いや、詳しくはしらねえけど、東京で羽振りのいい暮らしをしてるって話は聞いてたさ。ポルシェに乗ってたとか、六本木ヒルズに住んでたとか。会社興して、土地取引で一山当てたって自慢してたらしいけど、どうも人が変わったようなところがあって、怖くて敬遠してたっていう先輩がいたな」午後九時になって瀬川から電話があった。スナック大黒で谷口たちと飲んでいるから来ないかという誘いだった。康彦は一も二もなく駆け付けた。(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
さて、また昨日の続きです。
およそ二時間の上映が終わったとき、何人かが拍手をしたが、ほかに続く者が現われず、すぐにやんだ。場内が明るくなり、町民たちが見せたのは戸惑いの表情だった。これまで観たことのない、変わった映画だった。「おれは、これが苫沢町と思われたらたまらん。そうは思わねえか」口火を切ったのは瀬川だった。町民は次々に同調した。褒めるのはよそから来た者ばかりで、地元の人は皆否定的だった。しかしプロデューサーは「傑作ができた」と言う。瀬川が反論すると、「瀬川君、いい加減にしろよ」。とうとう藤原が声を荒らげた。「やめろ。お仕舞。みんなもう帰れ」年寄りが間に入った。この件はしばらく遺恨になりそうである。もっともすぐに収まる。狭い世間だから、顔を合わさずにはいられない。となれば、誰かが間に入り、表面上は仲直りするのだ。この町はそうしてずっとやってきた。
五月に入り、映画「赤い雪」に関して新しいニュースがもたらされた。世界的にも有名な映画祭でグランプリを受賞したのである。作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞と総なめの快挙だった。「おれさあ、理容学校出たら、撮影のときにお世話になったヘアメイクの人に弟子入りしようかなんて思ってるんだけど」と和昌が札幌から電話をしてきた。「はあ? 向こうはどう言ってるんだ」「これから手紙を書く」康彦はしばし絶句した。「好きにしろ」そう答えて電話を切る。若いのだから好きにすればいい。理容師の資格があれば、食いはぐれることもないだろう。このニュースを一番喜んでいるのは藤原だろう。これで彼も救われる。
ゲンキンなもので、映画を評価し直す声が町民の間から聞こえ始めた。ある日藤原は言った。「あ、そうだ。ビッグニュースがある。映画はグランプリを受賞したから、あらためて苫沢町に感謝したいって、プロデューサーと監督と大原涼子さんが公開前に来ることになったべさ」「藤原君のお手柄だ」「ありがとう、祝賀会、やっちゃんにはいい席を用意しておくからね。でもって瀬川君と谷口君は入れね」「もう許してあげなよ。きっと反省してるさ」「いいや、してね」藤原はむきになって言う。康彦はおかしくて、笑いをこらえるのに苦労した。苫沢は、そろそろ桜の季節だ。それを大原涼子に見てもらえると思ったら、自然と心が温かくなった。
「逃亡者」
苫沢町出身の若者が東京で事件を起こした。その若者は、広岡の長男・秀平で、中学で生徒会長を務めるほどの優秀で活発な子供だった。ここ数日、世間を騒がせていた詐欺グループの主犯格が全国指名手配され、名前と共に顔写真が公開されたのである。恭子は信じられない様子だった。康彦もそれは同じである。ああ、そう言えば------、康彦は思い当たった。ここ数年、散髪に来たとき、広岡は息子の話をまったくしなくなった。康彦から訊ねると、「会社を興したらしいが、何やってんだか」と会話を避けているように見えた。ニュースによると、秀平をリーダーとする詐欺グループは、高齢者を狙って墓地開発の投資を募り、実際は金だけ集めて、会社ごと消えてしまったらしい。被害者の一人が自殺したことから、頻繁にニュースで取り上げられるようになった。そして警察がグループの潜伏先を突き止め、踏み込んだところ、秀平はマンション二階のベランダから飛び降り、そのまま逃走したとのことだった。広岡は真面目な性格で、穏やかで、誰からも好かれていた。小さな町で、我が子がテレビのニュースになるような犯罪に手を染めた。そして逃亡中である。なんという悲しい出来事か。自分なら間違いなく寝込むだろう。そうこうしているうちに家の電話が鳴り、恭子が出ると札幌に住む息子の和昌からだった。「あんたもニュース見た? お母さんたち、もうびっくりして……」「おい、おれにも代われ」康彦は途中で受話器を取り上げた。「オメ、なんか知ってたべか」「いや、詳しくはしらねえけど、東京で羽振りのいい暮らしをしてるって話は聞いてたさ。ポルシェに乗ってたとか、六本木ヒルズに住んでたとか。会社興して、土地取引で一山当てたって自慢してたらしいけど、どうも人が変わったようなところがあって、怖くて敬遠してたっていう先輩がいたな」午後九時になって瀬川から電話があった。スナック大黒で谷口たちと飲んでいるから来ないかという誘いだった。康彦は一も二もなく駆け付けた。(また明日へ続きます……)
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