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山田詠美『珠玉の短編』その3

2017-10-30 06:42:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 大人の男たちが近付いて来る場合は、性的なものも加わった。しかし私は耐えた。そして、そうすればそうするほど、新たな罪人たちが押し寄せて、私のオアシスに首を突っ込んだ。次第に順番を待つような秩序は失われ、大混乱となった。そしてとうとうその日がやって来たのである。心の奥底から、くわーっ、辛抱たまらん! という声が湧きあがり、地鳴りのように体中に響き渡ったのである。次の瞬間、私は、ある特定の人物に向けて念を送っていた。「死ね。うんと、苦しんで死ね」その思いは正確に届いたらしく、彼はのたうち回って死んだ。同級生の男の子だった。名前は初野仁志という。私をいかに陰惨に苛め抜くかに常に心を砕いている生徒だった。私が苛められることに麻痺していた頃、初野仁志が私に与える危害は、他の危害の中に埋没しつつあった。彼は次第にあせり始めた。そしてある時、苛められている私に近付くと、「可哀相に」と言って、私を助け起こし、「この子に与えなくてはならないのは、存在していることへの制裁ではない。同情だ」と言ったのである。その瞬間、私の中ですっかり馴染んだ筈の痛みや苦しみが、新たな輪郭を携えて立ち上がって来たのだ。屈辱も姿を現わし、同時に、忘れていた様々な感情が甦って、私という器の中で大暴れを始めたのである。それら全部を放出して楽になりたいと切に願った私は、大量のどす黒い感情を、初野仁志に向けて噴き上げた。すると、それはすぐさま念に姿を変え、またたく間に標的を覆い尽くした。「死ね。うんと、苦しんで死ね」数日後、彼の家族の者たちは、次々と不幸な死に見舞われた。そして、たったひとり残されたのが、末っ子の仁志であった。順序良く家族を亡くして行くという悲痛な経験をくり返しながら、彼は生き地獄の責め苦にあえいでいた。その内、原因不明の病で闘病生活に入った。そして、これ以上ない苦痛の中で悶絶したあげくに、ついに絶命した。しかし、積年の恨みをはらしてせいせいしたとは、私は思わなかったのである。それよりも、意外にカジュアルな感じで、あれまっ! と呟いたのだ。もしかしたら、体質が変わったのかも、と気になり、初野仁志の次に私をひどく虐げた女生徒にも念を送ってみた。その女生徒もさまざまな要因から辛酸を嘗めた後、錯乱状態で用水路に身を投げた。じゃあ、こうしたらどうなる? と続けて性的悪戯をされ続けた叔父にも念を送ってみた。すると、やはり、彼はどん底生活に突き落とされ、無念の内に息を引き取った。断腸の思いだ! と絶叫したところ、本当に腸が千切れ飛んで、後片付けは大仕事だったという。ここまで来て、私は確信した。自分には、ある能力が備わったのだ。世にも稀な復讐の才能が与えられたのだ。そこで、私が選んだのが世界最小の教団の設立である。神の私、教祖の私、信者の私。ついでに巫女もねっ。こうして、みこちゃん教は始めの一歩を踏み出したのだった。その輝かしいきっかけを作った初野仁志には慈悲の心と共にホーリーネームが授けられることとなった。その名も「初の人死」負のみこちゃん遺産として、わつぃの心の奥底に、いつまでも留め置かれることであろう。しかし、あまりありがたくない。私は、自分の特殊能力を、当面、封印すると決めた。やり過ぎの教祖は糾弾されるって、過去の事例が証明しているもんね。それからの私の生活は、時に、オーラやカリスマがあるなどと、その存在感に一目置かれるかと思えば、孤高を持する者の境地を全然理解しない俗物たちに、気取ってらあ、などと陰口を叩かれた十代から二十代にかけての学校生活。そして、社会人になってからは、高嶺の花と敬遠されたり、取っ付きにくいと煙たがられるように、要するに近寄りがたいってことね。でも、ぜーんぜん、気にしない。あなた方とはステージが違うんだから仕方がないの。ごめんちゃい。あ、「ごめんちゃい」は仏教の「南無」やキリスト教の「アーメン」に通ずるもの。ともすれば、荘厳になり過ぎる宗教心に、あどけなさを演出する帰依、敬礼(きょうらい)の言葉に他ならない。あれほど長きに渡って続いた苛めや嫌がらせは急速に減って行き、その内、ぴたりと止んだ。受難の末に、とうとう私は、決して尊厳を侵されることのない高みに上り詰めたのであった。たまに、私から滲み出てしまう神々しさに気付かない鈍感な男がちょっかいを出して来たりした。最初の頃は、この罰当たり共め! と牙を剥いて威嚇したものだが、その内、生贄として神であるみこちゃんに供える機会も増えてきた。目の前にいるこの殿方は、生贄は生贄でも、実は隠れ生贄。いえ、隠し生贄と呼ぶべきか。何故なら、彼は、会社の上司にして他の女のだんなさん。しかも、その妻は、同じ社の役員の娘さん。(また明日へ続きます……)

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