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奥田英朗『向田理髪店』その4

2017-10-15 08:26:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 「一年くらいは覚悟した方がいいのかなあ」武司はほとほと困った様子だった。当面は毎週末に帰省すると言う。交通費だけでも馬鹿にならないし、病院は完全看護なのだし、そんなことはしない方がいいと康彦たちは忠告したのだが、淋しく笑うだけで、聞き入れることはなかった。喜八の妻・房江は、平日、毎日昼食を済ませると、午後1時のバスで病院に行った。一度、大雨の日に傘を差して出かけるのを見たときは、思わず店の外に出て、「馬場さん、今日はやめた方がいいんでないかい」と声をかけていた。房江は「平気、平気」と健気に手を振り、夫の見舞いを欠かそうとはしなかった。ただ房江は、息子に毎週帰ることはないと言っているらしい。「それがいいべ。月イチぐらいに減らせ」康彦たちもそれを勧めるのだが、そろそろ喜八は転院を求められていて、新たに病院探しもしなければならず、帰省は避けられないとのことであった。幼馴染としても、近所の住民としても、放っておけないので、康彦は瀬川と谷口に声をかけてサポートを申し出ることにした。月水金と三人が交代で房江を病院に連れて行く。火曜と木曜は自分で行くか、もしくは休むか、毎日行く必要はないと、説得するつもりでもいる。「いい、いい、一人が安気」房江は何度もかぶりを振り、拒絶の構えを崩さなかった。
 喜八が倒れて一ヶ月が過ぎたとき、やっと転院先が見つかった。山縣市の外れにある、まだ新しいリハビリテーション病院である。「武司君はよくやってるべ。ほんと感心した。いったい東京と何往復したべか。会社の管理職を務めながら、まったくたいしたもんだ」康彦が褒めると、武司は小さく笑い、「周りが協力的なんでびっくりした」と肩をすくめた。「ぼくのことを日頃毛嫌いしている役員まで、お父さんは大丈夫かって、気遣ってくれて。自分の父親が九州の実家で倒れたときも、大変な思いをしたから、会社としても出来るだけの配慮はするって------。要するに、ぼくら以上の世代は、みんな親を見送ることについての経験者だから、他人事じゃないんだよね」「ところで、おふくろさんはどうだべさ」「それがね」ここで武司が声を潜めた。「どうも淋しがってる感じはないんだべさ。この前なんか、五年ぶりに映画館に入ったなんて、うれしそうに話すしね」「えっ、そうなの?」「そうなのよ。山縣の町に出て一人で買い物したり、喫茶店でスパゲティ食べたり、なんか知らねえが楽しんでいる節があるわけ」「ははは」三人とも声を上げて笑った。「房江さん、解放されたのよ」ママが口をはさんだ。ママは一人でしゃべった。康彦は自分の老後を想い、胸が痛くなった。喜八はまだ生きているというのに、まったくひどい話である。苫沢の夜は相変わらず静かである。
 翌日、足を悪くして店に来れない老人のために、康彦は出張散髪に出かけた。途中、町の婆さん連中がグラウンドゴルフをしているのを見かけた。うちの母もいるのだろうかと、スピードを緩めると、輪の中心となって興じていた。なるほど女は強い。父も天国で苦笑いしていることだろう。そして立ち去ろうとしたとき、一人の老婆に目が行った。そのとき、大きな声が飛んだ。「次は房江さんの番だべ」康彦は運転席で尻が滑りかけた。おそらく喜八も文句はないだろう。房江が家に閉じこもることなど、誰も望んではいない。ひばりが空で賑やかに啼いていた。
「中国からの花嫁」
 苫沢町に中国人の花嫁がやって来た。農家の長男が中国へ見合いに出かけ、中国人の花嫁を連れて来た。新郎は、四十歳の野村大輔である。康彦が子供の頃から知っている向田理髪店の客で、今でも月に一度のペースで散髪に訪れ、世間話をしていく。ニュースを仕入れてきたのは母の富子だった。「野村さんのところの大輔君、結婚したそうだ」奥から店に出て来て、いきなり言うので、康彦はびっくりした。つい半月前、大輔は客として来ていたが、そんなことはひとことも言わなかったからだ。たまたま瀬川が店にいて、彼も目を丸くして驚いた。そもそも大輔は明るい性格の人間だった。町の行事にも積極的に参加してきたし、年寄り衆の面倒もよく見ていた。それが三十を二つ三つ超えたあたりから急に無口になり、付き合いを避けるようになった。理由はなんとなくわかっていた。いつまでも嫁が見つからず、肩身が狭くなったのだ。決定的な出来事もあったらしい。大輔が農協で働く女子事務員を好きになり、周囲が焚き付け、その気になってプロポーズしたところ、少し考えさせてほしいと言われた。大輔は、その返事に脈があると思い込み、みなに触れ渡った。ところが女子事務員はすぐに断るのは失礼かと思っただけで、時間を置いて、申し訳ないが農家には嫁ぎたくないと断られた。恰好がつかなくなった大輔は、しばらく行方をくらましたらしい。康彦は、明るかった大輔が、結婚出来ないという負い目だけで、これほど人が変わるものなのかと、そのことを辛く思っていた。(また明日へ続きます……)

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