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奥田英朗『向田理髪店』その3

2017-10-14 06:32:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 後ほど聞いた房江の話によると、救急車の中ではまだ意識があったが、病院に着く頃には呼びかけても応答がなくなり、検査の結果、くも膜下出血だと診断されたとのこと。今は集中治療室に入っているが、危篤状態にあるとのことだった。武司は「今日にでも八王子からカミさんと子供たちを呼ぶ。圭子にもゆうべ電話した。仙台から駆けつけるって言ってた。そのまま葬式かもしれん」。圭子とは武司の妹だ。「ぼくがいるときでよかったさ。お袋一人なら、風呂から出すことも出来なかった」「うん」「最後に親孝行が出来た。そう思うことにする」「それがええ」「歳も歳だし」「八十二まで生きりゃ充分だべ」。
 祭りの前日ということもあって、向田理髪店は訪れる客がいつもより多かった。会話はもちろん喜八の一件である。倒れたとなると、それぞれに心当たりがあるようで、口々に予兆を報告し合った。ただ悲壮感はあまりなく、仕方がないという諦めの空気が大勢を占めていた。
 夜、美奈が東京から帰って来た。アパレル企業に勤めていて、「忙しい、忙しい」が口癖の長女である。康彦が暮らしぶりを訊ねても、「ちゃんとやってるって」とうるさがるだけで、まともに答えてくれない。恭子が言った。「馬場さん家、奥さんが一人残されて、これからどうするのかなあって、そんなこと思ったら、自分たちの将来も不安になった」「年よりの単身世帯なんて、苫沢じゃあ掃いて捨てるほどある」「そうだけど、甘いこと考えないで、心の準備だけはしておきたいの。最悪の事態を想定しておいた方が、焦らなくて済むじゃない」言い負かされた形で康彦が黙る。恭子の言うことは確かに正論で、みんな不安な思いを抱えつつ、誤魔化しながら生きている。
 祭りが始まっても、喜八の容態は変化なかった。武司は三歩進むごとに町民につかまり、喜八の具合を訊ねられていた。「おめえ、すぐに東京に帰らんといかんべさ。あとのことはわしらに任せ。みんな替わりばんこでお母さんを病院に連れて行ってやる」みなが手助けを申し出、武司はその都度恐縮していた。「で、今日も病院へは行ったんだろ?」瀬川が聞いた。「うん、行った。おふくろが呼びかけると、おー、おーって声を出すんだが、ぼくは辛くて見てられねえな」「何よ、意識あるわけ?」「それがあるのさ。あの晩はもう意識不明で、これは一両日中に臨終だろうなあって、覚悟したんだけど、一夜明けたら目は開けるわ、手足は動かすわで、こっちも驚いたさ。医者も持ちこたえる可能性もあるって所見を変えた。寝たきりに変わりはねえけどね」「そうかあ……、電気屋のシュウちゃんの親父さんが実は同じで、倒れてから点滴だけで一年もったから、家族はみんな大変だったべさ」「一年も?」武司は目を剥いた。「おまけに、植物状態だとしても、症状が安定すれば転院を求められるしな」「それほんと? じゃあ、この状態が続いたらどうしよう。ぼくは東京で仕事があるし、妹だって仙台で契約だけど事務の仕事やってるし、おふくろ一人で出来ることじゃねえべ。何度も帰って来なきゃなんねえし、あれこれお金もかかるし……」「東京は遠いよな……」康彦と瀬川と武司の三人でため息をついた。親を見送るというのは難事業だ。
 夜は盆踊りが開催されたが、康彦は少し顔を出しただけで、瀬川と谷口と連れだって、いつものスナック大黒に行った。「長患いはいやよねえ」ママはたばこを吹かして言う。前町長の悪口で盛り上がっているところへ、青年団の面々がどやどやと店にやって来た。「ああ、惨敗だ。ライダーは来ねえし、隣町の女子も来ねえ。屋台は赤字、機材のレンタル料も出ねえ」瀬川の息子・陽一郎が顔をゆがめて言葉を発した。「ねえ、あんたたち、親が歳とったらどうするつもり」「知らね」回答拒否のような形でそっぽを向いた。親父三人が肩をすくめる。若者たちはすぐに酔っ払い、やがて狭いスナックでどんちゃん騒ぎを繰り広げた。
 祭りが終わっても喜八の容態に進展はなかった。親戚はみな日常生活に戻り、武司だけが有給休暇を取り、実家に残った。「ぼくは十八で家を出て、ずっと自分の都合ばかりで生きて来たから、それに対する負い目もある。やっちゃんみたいに実家を継ぐとか、親の面倒を見るとか、そういう義務を何ひとつ果たしてねえから、どこか罪悪感があるって言うか……」「何言うか。昭和はとっくに終わった。苫沢みたいな過疎地で、町に残れなんて誰が言える」。(また明日へ続きます……)

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