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奥田英朗『向田理髪店』その13

2017-10-24 09:30:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 翌日の日曜日、苫沢署の署長が散髪にやって来た。そこへ苫沢署の制服警官もやって来た。散髪中の署長の耳元で何事かささやく。「詐欺事件の容疑者が道内に……」という言葉が康彦にも聞こえた。署長は顔色を変えると、「ちょっと失礼」とエプロンをまとったまま立ち上がり、店の隅でひそひそ話を始めた。康彦はただならぬ雰囲気に緊張した。秀平が道内にいるとしたら、苫沢に帰って来るということなのか------。
 署長が帰ると、通りをパトカーが行き来するようになった。それも道警本部から応援が来ている様子である。瀬川がやって来て、「うちの息子が絡んでなきゃいいけど……」と低い声で言った。「実はな、ゆうべ、空き家になってる死んだ祖母ちゃん家の鍵を貸してくれなんて言うもんだから、何に使うって聞いたら、札幌から来た友だちを泊めるんだ、なんてことを言うわけ。そったらもん、うちに泊めればいいでねえかって言ったら、なんか口ごもって、はっきり返事もしねえまま鍵を持っていっちまったべ。横には和昌君もいたし-----」「和昌が?」「青年団の歳の近い連中が四人ばかりいたべさ」「あいつ、どこにいるべか」広岡に電話をかけてみると、広岡が電話に出て、妙なことを言った。「丁度よかった。電話しようと思ってた。今しがたうちの女房が消えたんだが、やっちゃん、知らねえべか」「はあ? どういうこと?」「一時間くらい前かな、おたくの和昌君が裏の勝手口から入って来て、おばさんいるかって聞くから、二階で寝てるって答えたら、ちょっと会わせてくれって、トントンと上がっていって、しばらく部屋で話し込んでるわけ……。で、三十分ぐらいして二階をのぞいたら、もぬけの殻だったのよ」。捜しに行くと言う広岡に、自宅にとどまるよう説得し、康彦は瀬川と二人で空き家に行くことにした。
 半年前に母が死んで空き家になった瀬川の実家に行くと、雨戸は閉まったままで、とくに変わった様子はなかった。ただ、畑仕事中の老人が言うには「ただ若い衆が四、五人いたべよ。そこへ年配の女の人が一人、車でやって来て、三十分くらい家の中にいて、それで車何台かで出ていったべさ」。もはや決定的となった。青年団の若手数人は、ゆうべから秀平をかくまい、今日になって母親に会わせたのだ。すると康彦の携帯に恭子から電話があり、「お父さん、今、警察から電話があったんだけど、和昌が秀平君と一緒に苫沢署にいるんだって。それで、よくわからないんだけど、事情を聴くからしばらく身柄を預からせてもらうって」。電話を切ると「瀬川君よ、これから警察へ行くべ。何がどうなってるか、さっぱりわかんねえ」。警察に着くと、和昌は「昨日、秀平さんから連絡があったべさ。逮捕されるのはしょうがないにしても、自分にも言い分はあるし、それをおふくろに聞いてもらいたいし、何より手錠をかけられる前に、ちゃんと謝りたいって……。だからおれは、手伝ってもいいけど、それが済んだら警察に出頭してくれって頼んだら、それは約束するって言うから、苫沢に連れてきたべさ」「で、どうだったんだ」「おばさん、泣いてたさ。秀平さんも泣いて謝って、おれら、その場にいられなくなって、外に出てたんだけどね。悪かった。でも出頭したんだし、これで解決だべ」「容疑者は現在刑事課にいる。両親も一緒。青年団に免じて留置場は勘弁してやる。これから札幌に移送して、今日中に東京かな」署長は、容疑者確保で機嫌がよさそうだった。「親父、それから瀬川さんも、秀平さんは刑期を終えたら苫沢に戻るって言ってっから、みんな、温かく迎えてあげてよね。昔は何かあるとつまはじきだったそうだけど、これからの小さな町はちがうべ。みんなが仲良く暮らせる偏見のない町作りだべ」「オメ、いつからそういうことを言う人間になったんだべか」「変化がねえ町だからね。少しは変化を起こそうと考えてるのさ」康彦は苦笑して見せたが、心の中では結構感動していた。まさか、息子に感動させられるとは------。瀬川も感動したらしく、言葉を失ったまま、息子の陽一郎を見つめていた。苫沢はこれからいい町になりそうである。康彦はそんな気がして、全身の緊張が一気に解けた。

 いい読後感のある短編集でした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto